紅雀の丹

2003年05月01日

P・C・直っ・たーーー! 幾度となく俺を襲った緊急事態( )にもめげず、不屈の精神で、ついに我が愛しの糞自作 PC 、復活! っていうかまあ俺はほとんど何もしてなくて、実際の所は、生物ランキングで言うとゾウリムシの次くらいに位置しているような下等生物の俺に、なんとマザボや CPU を買い与えてくれる、という、まるで聖母としか思えないような施しをして下さった偉大なるお方がいたから直った。一刻も早くノーベル平和賞を献上したい。マザーテレサやらアウンサンスーチーやらダライラマやらといった凡百連中の100万億兆倍くらいの慈愛を持ってらっしゃる。持つべきものは友だと心の底から思った。

っていうかマザーと CPU と、おまけにどさくさに紛れてグラボまで変わったので、これは「直った」とかじゃなくて「作り直した」だよな。ケースが一緒なだけで中身は完全に別物。つまり自作2台目。スペック弱体化したけど2台目。やべーとんでもないハイペース。自作歴3ヶ月目にして早くもこの領域、正直言って自分の才能が怖い。ひょっとしたら俺は天才なんじゃないか。まあ PC を壊す方の天才なんだけどな。このまま俺の PC 破壊のサイダネが開花してしまったら、来年の今頃には既に6台目を制作しているかもしれない。しかも、回を重ねるごとにスペックが低下して、Pentium 65MHz とかになってて、その上自作貧乏で高利貸しに手を出して借金が100万円をオーバー。連日連夜の取り立て、「お前の臓器は全部油まみれで使い物にならんから、とっとと死んで保険金よこせや!」と言われ続け、進退窮まりついに自殺を決意。サイトにその旨を記そうと PC を立ち上げ、必死の形相で最後の日記を書くが、ついつい熱がこもり誰も聞いてないのに自分の半生を語り出し、「幼稚園卒業」の時点で優に10万字を超える絶望的長文に。ところが、小学一年生の頃に「腐った大根」という子供の純粋無垢な悪意満載のあだ名を付けられ号泣したエピソード(実話)を書いている最中に、自慢のフレキシブル OS Windows 3.1 がものの見事にフリーズ、そして憤死。岩倉の一生はこうして幕を閉じたのだった。

とかならないように、これからは PC を大切に使おうと思う。いや、前もちゃんと大切にしてたはずなんだけど、どうも PC 様は処遇に不満があらせられたようなので、これからは毎日優しく撫でたり名前を付けて毎日呼んだりうちわで扇いであげたりしたい。さあて、どんなカワイイ名前を付けてあげようかナ…。まあ面倒だから「下痢便大魔王」とかでいいか。よし、下痢便大魔王、これからもよろしくな! (ここで PC が謎の大爆発、岩倉は消し炭に。予想より1年早い死であった。)

Posted by iwakura 23:46

まもり

2003年05月04日

ハローエブリニャン、G.W (Gonbuto - Wnko) 満喫してる? 二次元の国からこんにちは、岩倉だよ。なんか一部の社会人・大学生は11連休とかそういうレベルの休み方をしてるらしいけど、ほんと愚かとしか言いようがないよね。日々を己の鍛錬に費やしてこそ人間は見果てぬ悟りの地平へ辿り着けると言うのに、11連休なんてしたら筋肉が音もなく腐り落ちるよ。怠慢は人類最大の敵なり。怠慢ってどことなく大麻と響きが似てるし、やっぱマジでヤバい。怠慢も大麻も、一度その快楽を味わうとなかなか離れる事が出来ないし、ね…。とかうまい事言ったような気分になってる俺だけど、今年はなんとたったの三連休。3日(土)、4日(日)、5日(月)、その三日のみが休み。まんまじゃん、みたいな。アホか。土日と祝日がかぶったら何の意味もねーだろボケナス。振替休日すらないし、月曜だけが祝日になった状態と一緒。馬鹿野郎。ちょっとは考えろ。確かにさ、順当に年月が流れてくれば、今年はこういう曜日の構成になったのかもしれないよ、だけどね、日本人の大多数が待ち望み、心の支えにしているこの連休をだな、こういう形で無碍にするっていうのは、果たしてやっていい事なのか悪い事なのか、その足りない脳みそでしかと考えやがれ、暦。そう、今回の俺たちの敵は暦だ。あいつが気を利かせないからこのような悲劇が起きたのだ。あのケツの穴ガバガバ星人だけは許しておくわけにはいかない。俺は徹底的にヤツと戦い通してやる!

とか意気込んだので、先週は必修がてんこ盛りの金曜をものの見事にサボってやった。ざまあみろ、これで4連休。まあ正直なところ、起きたら昼だったので全てのやる気がこそげ落ちて失意のうちに引きこもったっていうのが本当なんだけど、そういう事実には目をつぶり、この4連休は俺が俺の自由意志でもって獲得したものなのだ、と声を大にして主張したい。アイガットフリーダム。俺は自由だ!

というわけで俺の比類なき意志の強さにより3日から4日に拡張したこの連休、勿論無駄にするわけにはいかない。毎日アグレッシヴに外出し、様々な物事を見聞し、己の精神をより豊かなものにしなければ。そう決心し、陽の光溢るる外界へ出立、30分後、帰宅。あれれ、どうしたのかな岩倉君。うん、あのね、近所のゲームショップへ行ったんだけどね。(しょっぱなに行くところがそこか)なんかね、色んなゲームがすっごく安く売っててね…。それでついつい買っちゃったんだ、ゲーム。何をって、その、ええと、と、とき、ときめきメモリアル2…を…。

やっちゃった。俺、7年ぶりくらいに、迎えちゃった。ときメモウェーブ。思い出すぜ、中三の秋、技術室で明らかに気持ち悪い人間ばかりが集まって「二人の時」を大合唱していたあの頃を…。こーのーむーねーのーとーきーめーき〜〜〜〜(とーきーめーきー)。まあ正直この歌が歌えない奴なんて駄目だと思う。国歌だよ。俺たちの理想郷、メモリング帝国の、麗しの国歌。あーさーひーなーさーん! にーじーのーさーん! 如月は事故れ。まあそれはともかく、やったね、ときメモ2。徹夜した。俺様のゴールデンウィーク、ときメモ2だけで終わる。間違いなく終わる。メイ様。メイ、様…。メメメメメメメメメメイ様ーッ! まあこんな感じで俺は今、伊集院メイ様を10分以上見ないでいると変な発作が出る病気になってしまっているので、早いところゲームに戻らないといけない。あー多分俺が日本で一番連休を有意義に過ごしてる人間だな。俺モテ過ぎ。そういうわけだから、愚民ども、せいぜい俺に負けないような連休の過ごし方をしてくれや。ハーッハッハッハッハハハアハハアハハッハハハハハッ! (切腹)

Posted by iwakura 16:24

キクチナナコ

2003年05月07日

あー糞だりぃだりぃって感じで英語の授業に出て教授の話を完璧に聞き流してたら、机の中に袋入りのルーズリーフが入っているのを見つけた。恐らく、前の授業を受けていたどこぞの間抜けが忘れていったのだろう。今頃ルーズリーフがないことに気付いて慌てているかも知れない。一瞬、拝借してしまおうか、という邪心も芽生えたのだけれど、ルーズリーフは間に合っていたのだった。こんなに沢山いらない。邪魔くさい。とかそういうんじゃなくて俺の良心が痛んだからね。やっぱそういう事しちゃ駄目だし。15年くらい前に道徳の時間で習ったから知ってる。やめなきゃね。こんなに沢山、50枚はあるものを失敬しちゃ、ね。うん、50枚取ったりするなんて、とんでもない。50枚全部は、いけない。そう、50枚全部は駄目だ…全部、は…。

という超モラリスト思考の果て、1枚だけちょろまかした。ごめんなさい。持ち主さんごめんなさい。お父さんお母さんごめんなさい。パルプ工場の皆さんごめんなさい。木を伐採している皆さんごめんなさい。紙さんごめんなさい。自然さんごめんなさい。地球さんごめんなさい。森羅万象にごめんなさい。なんでわざわざ、自分のルーズリーフじゃなく、人様の忘れ物から一枚抜き出すのか。馬鹿じゃないのか。自分でもそう思います。しかしあの時の僕は、目の前に誰かが忘れていったルーズリーフが丸ごとあるというどうでもいい事実にいたく興奮し、そう、まるで中身のドッサリ入った財布を見つけた時の良心と邪心のせめぎ合いにも似た心境、「とりあえず良きにせよ悪きにせよこのルーズリーフに対し何らかのアクションを起こさずにはいられない」という気持ちに支配されていたのです。そのまま見て見ぬふりをする事だけはできませんでした。もしもあのルーズリーフが誰の物だか分かり、そして僕がその人に連絡したり会いに行ったり出来る状態であったら、僕はその人にルーズリーフを届けに行ったでしょう。それによって、「ルーズリーフに何かしたい欲」は最良の形で満たされます。しかし僕にはその術がない。これは、中身のドッサリ入った財布を拾ってみたものの、そこがド田舎すぎて交番がどこにあるのか全く分からない、もしくは何らかの事情で交番に辿り着けそうにない、そういう状況と似たようなものです。そういう時、果たして財布に何のアクションも起こさずに立ち去れるか。少なくとも僕は NO なわけです。折角こんなものを見つけたのだから何かしておきたい、何かをせねば、でも、あまり大それた事はしたくない、そういった懊悩の果てに、「ルーズリーフを一枚抜き取る」というせせこましい行動を選択した、という事なのです。まあ許せよ。

そんな「だからどうした」としか言いようのない釈明はともかく、俺はルーズリーフを一枚抜き取り、それに魂の赴くままに筆を走らせ、余りにも糞暇で糞退屈な糞授業を、落書きする事で乗り切る事にしたのだった。今回のテーマは「歴史的ブサイク」。絵が死ぬほど下手糞なこの俺が本気を出してブスの絵を描いたら、果たしてどれほどのブサイクが完成するのだろう、というゴミのような好奇心から採用されたテーマだ。ブサイクの限界に迫りたい。その一念が俺を突き動かしたと言っても過言ではない。

そうして次々とルーズリーフ上に生み出されていくブサイク達。どいつもこいつも死ぬほどブサイク。(例:愛子ちゃん これは二年半くらい前にかいた奴だけど似たようなもん)ブサイクっていうか化け物。人間じゃない。岩倉君、次から次へクリーチャーを描いているけど、人間に触手はないよ。足は2本までだよ。鼻の穴から腕は生えないよ。そういった理性の呼びかけを一顧だにせず、勢いよく筆を踊らせ、そうして30分とたたずに、ルーズリーフの片面が埋まったのだった。ふう、もう半分か…。俺もやればできるもんだよな。うん…。一息ついて自分の仕事を見返す俺。お、これはなかなかポーズが決まってる。うーんこれは目が失敗。あ、これは酷いなぁ。おいおい、こっちも相当酷いぞ。って言うか、全部、酷いぞ…!? …作品を眺めるうち、徐々に気持ちは落ち着きはじめ、冷静になり、自己を客観視し、ついに、ふと我に返る。何してんだ俺。馬鹿か。まるでキチガイ。英語の授業中に、盗んだルーズリーフに力一杯のブサイク画を描きまくって…一体、俺は何を…何を考えてたんだ…。

というわけで問題のルーズリーフは折りたたんで机に放り込んだ。何もなかったことにした。知らない知らない。俺は何も悪くない。この紙は次の授業を受けに来た奴への置き土産だ。ありがたく受け取れ。で、まあ授業も残り10分だし、あとは適当に寝てやり過ごせばいいよね。とか考えていたら、教室に一人の男がコソコソと入ってきた。おいおい今更入室かよ。遅すぎる。もう出席は取っちゃったし、来ても無駄なのにねえ…。などと思ってそいつを見ていると、何やらこちらに近づいてくる。ん、なんだ。俺の隣に座りたいのか。しょうがねぇなぁ…。ところが男は座る気配がない、いや、それどころか、授業を受けに来た様子ではない。しきりに俺の近くの机の中を覗き込み、まるで、何かを探しているかの…あーッ! まさかーッ! こいつ…この…ルーズリーフの…!?

気付いたときにはもう遅かった。男は「ちょっとすいません」と小声で俺に告げると机の中に手を突っ込み、そして、ルーズリーフの束と一緒に、4つに折り曲げられた同色の紙を取り出したのだった。うわーッ! 束だけ取り出せばいいものを…! 絶望に暮れる俺を尻目に、男は、目的の物が見つかって安堵したのだろう、「あーよかったー」と呟くと、今度は、なんだろうこれは? といった感じで、その折りたたまれたルーズリーフに目をやった。やめろ。やめてくれ。そ、それを開くと死ぬぞ。呪われるぞ。だから悪いことは言わない、やめておけ。俺は心の中で必死にそう念じたが、伝わるわけもない。無情にも、背後から、折りたたまれた紙を開く音が聞こえ、そして程なく、「えー」という小さな声が聞こえた。気のせいか、はっ、と鼻で笑ったような気配も感じられた。男はそれきり黙り、3秒ほど俺の背後でじっとしたあと、足早に教室から立ち去った。

神様、もし神様がいらっしゃるのなら、今すぐに私を殺して下さい。私は今、恥ずかしくて死にそうです。でも、死ねないのです。だから、どうか私に雷を落として下さい。それだけが今の望みです。絶対バレた。あの紙に数々のキチガイ絵(しかもド下手)を描いたのが俺だと、あの男にバレた。だってどう考えても俺。俺以外いない。あーあーあーあーあーあーあーああー。俺は今年で23になるのに、一体、何をしているのだろう。悪いことをするとバチが当たるって本当だね。

Posted by iwakura 19:13

読子=リードマン

2003年05月08日

毎週木曜の4限はお楽しみ、70か80くらいのじいさんが繰り広げるザ・アルツハイミング授業。初回の授業のしょっぱなから「教室はここでいいのか」という掴みのジョークや「戦時中に軍事工場で働かされて魚雷を作っていたら学友が魚雷で吹っ飛んだ」などの数学とは何の関係もない昔話でその潜在アルツ能力の高さを臭わせていたじいさんだったが、第2回の授業ではなんと、プリントを配ってそのプリントの内容にまつわる雑談3,4種類を2回半ほどループさせて繰り返し聞かせるだけという驚異のアルゴリズムで終了。多分あのじいさん、言ったそばから何を喋ったか忘れてる。ところてん方式で記憶が抜けていく。ジョジョの6部で「物事を3つまでしか記憶できなくなる」っていうスタンド能力があったけど、それを地で行ってる。「この教室でいいんだっけ」ってまた言ってたし。やばい。あと「テストに教科書を持ち込んでいいのだが、プリントはカンニングと勘違いされるらしいから駄目なんだよ。俺はいいと思うんだけど。」というような事を、2回目の授業までで5回は繰り返してた。しつけー。

それでもって先週行われた驚愕の3回目、これが凄かった。まず教室に笑顔で入ってきたと思ったら「こんな不愉快な大学はない、全員前の席に座れ」と突然の激怒、後ろの方に座っている連中を無理矢理前に座らせる(俺は真ん中よりちょっと前だったので助かった)。そして「ここは日本で一番駄目な大学だ。本当なら全員殴ってやりたいところだ」と年甲斐もなくハッスル、よぼよぼの手を振り上げてニヤリと笑う。誰か医者呼べ。

全員が前に出てきたのに気をよくしたご老公、含み笑いを浮かべ「今日はお前らにすごいプリントをくれてやる、いいか、日本でこんな授業をしてるのは俺だけだぞ。ありがたいんだから。」と豪語。ありがたいかどうかはともかく、確かにこんな授業をしてるのはこのじいさんだけだろう。一体どんなプリントなのか、と思ったら、おい、じいさん、ちょっとこれ、先週配った奴だろうが! ボケ過ぎだよ! しかし、じいさんはそんな事は想像だにしてない様子で「これはだな、俺が2年前に京都大学で教授相手に授業をするときにだな…」という、前回も2回くらい聞かされたエピソードを得意満面で語り、その後も前回とほとんど同じ内容の授業を繰り広げたのだった。しかもその授業、2回聞いても得るものがある内容だったらいいのだが、1回目の時点で既に何も得るものがないという鬼のような内容。何故なら、「お前らこれ知ってるか?」(黒板に訳の分からない数式を書く)「何、習ってない? 今3年生か。3年生で習ってないって、情けないねー。」とか言って昔話を交えたお説教を10分くらいカマしたら、また「じゃあこれは知ってるか?」と、また何が何だか分からない内容を黒板に書き連ねる、という事の繰り返し。その小難しい数式が一体どのようなものなのか、どうやって解くのか、どのような性質があるのか、そういった説明は微塵もなし。おいジジイ知識ひけらかしたいだけかよ。どういう授業だよ。

そんで今日の授業でも、「ルベーグ積分」とかいう代物について色々語りたかったみたいだったのだけど、「えーと、これは教科書のだな、40ページから49ページ? たっだ10ページで必要なことを全部まとめたから。」「このルベーグ積分というのはな、(黒板に汚い図)こういう無限回振動する関数がだな(略)」「で、こういうのがルベーグ積分というわけだ。詳しい概念などは教科書の…えーとどこだっけ。よん…40っ…ページから………………49ページまで。ここに全部! 全部書いてあるから!」「それでだな、ルベーグ積分というのは、(黒板にまた図)」とかそういう感じでね、もうなんだろう、テクノだよね。ここまで繰り返されるとグルーヴすら感じる。ジジイの肉声によるミニマルミュージック。あ、なんか俺、恍惚としてきたかも…(熟睡)。

そういうわけで今日もジジイの授業は15分くらい寝てしまった。目が離すことの出来ないアツい授業なだけに無念。来週も楽しみですゾ!

Posted by iwakura 23:50

シャーリー

2003年05月12日

今年の俺が何よりも優先しなければならないもの、それは大学。大学で教授様方のありがたい講義を拝聴するためならば、両親を質に入れることも、家をヤクザに明け渡すことも、友人を生命保険に入れて紆余曲折あって大金を手にすることも、教授の欲望のはけ口に自ら志願し夜伽に精を出すことも、その他様々な苦難・苦痛にも必ずや耐えてみせる、そんな気概でもって迎えたこの新年度であったのだ。ところがどうだ、ここしばらくの俺と来たら、水曜と金曜は丸ごと全てサボり倒したり、授業の8割は寝ていたり、全くノートをとらなかったり、そもそもペンケースがなかったり、今までとまるで変わらぬゴミ学生ぶりではないか。こんな事でどうする俺、俺よ目覚めよ。覚醒せよ。刮目せよ。開悟せよ。解脱せよ。輪廻せよ。転生せよ。そして登校せよ! 出席せよ! 受講せよ! 勉強せよ! 単位…………取得せよーッ!!

カァーッ! かようにして俺は先日悟りを開いた! そして友人に聞かされた! 「次回のネットラジオは日曜の夜から月曜の朝にかけてやるので来い」と! 何だとーッ!? 言! 語! 道! 断! ハァーッ! (青龍刀で友人を両断) 我を今までの岩倉と思うなかれ、只今より我は古今無双の勤勉大学生、岩倉・ネオ・ユニバースと化す! ラルク・アン・シエーーーールッ! (気合いの雄叫び) というわけであるからして、大学を優先するゆえラジオには欠席致す! 月曜に何の予定もないクズどもだけでネットラジオとやらに興じておくがいい! ハーッハッハッハッハッハ!

このようにしてこの世に爆誕した岩倉・ネオ・ユニバースであったが、ラジオ当日、ちょっとした気の緩みから夜の11時までラジオとは別の友人宅でダラダラと過ごしてしまう。しまった、我輩としたことが何たる不覚。このままでは明日からの完璧な大学生活に尋常ならざる支障を生ぜせしめてしまう。いかぬいかぬ、我輩はこのような所で力尽きていいような男ではないのだ。何としても日付が変わる前に帰宅し、早々に支度を調えて床に就かねばならぬ。そういうわけであるから、友よ、おさらばえ。あちきは家路を急ぐでありんす。もうキャラが滅茶苦茶だけどとにかく急いで家に帰るべく電車に駆け込んだのだった。

首都圏に降りた夜のとばりを引き裂くかのように、電車は闇の中を走り抜けていく。向かいの窓から外を眺めれば、街はもうすっかりその機能の大半を停止させ、また明日から訪れる気ぜわしい日常に備えるかのように、穏やかに静まりかえっている。ふと、考えた。この目に映る景色の中で、一体どれだけの人々の生活が営まれているというのだろう。ある人は笑い、ある人は怒り、またある人は泣いているかも知れない。数え切れないほどの人々の感情が集まり、それが街を作り上げている。そしてその街が集まり国を作り、国が集まり世界を作る。この街ですら今の自分は一望できず、電車の窓で切り取られた一部分を漫然と眺める以外にない。だとしたら国は、そして世界とは一体どれほどの大きさだというのだ。なんとも、世界とは想像もつかないほどの広がりと厚みを持っているものではないか。

気がつけば私の頬には大粒の涙が伝い、低く、くぐもった嗚咽が喉の底から響き、鼻水は白糸の滝の如く優美に垂れ下がり、失禁し、腰は物理的に砕け、知らぬ間に衣服は悪漢にはぎ取られ、生まれたままの姿で、私は人間というものの小ささ、ちっぽけさを知ったのだった。自分という存在がここまで小さいのだとしたら…そう、大学、なんていうものは…。この時、岩倉・ネオ・ユニバースという個体はその一生を終えた。それと同時に転生した。我こそは岩倉・ビビッド・カラー。大学なんてナマコのアナルよりちっぽけで、どうでもいい存在ではないか。そんなものは糞食らえだ。何より大事なのは、こんなちっぽけな俺の心の中で、とても見過ごすことが出来ないほど、それこそこの世界なんかよりもおっきく膨れあがってしまったこの気持ち、そうさ、「ラジオやりたい」、この魂の叫びに素直に従うことなんじゃないのか。そうだろう。そうに決まってる。

俺はその足で友人宅へ直行し、ネットラジオに合流した。そして、友人のチンポに低周波マッサージ機をあてがって徐々に揉む強さを強めたり、別の友人のチンポにタバスコを塗りたくったり、友人の金玉を掃除機で吸ったり、頼んでもいないのにチンポを見せてくる友人に唖然としたり、その一部始終を100人近いリスナーに向けて発信したり、無闇に怖い話をして怯えたりして、朝を迎えたのだった。楽しかった。俺は、間違っていなかったのだ。

午前8時、大学の始業の50分前の事だった。岩倉・ビビッド・カラー、就寝。次に彼が現実世界へ帰ってくるのは、大学の授業が大方終わりを迎えた午後2時半の事である。絶望と後悔が支配するその現実を実感するその時まで、安らかに眠るがいい、岩倉よ…。

って言うか、なんだろ、そろそろ死にたい。ここをご覧になってる方にゴルゴ的なスキルを所有している方がいらっしゃいましたら、僕には内緒でドタマを一発狙撃して下さい。何の苦しみも恐怖もなく死ねるはず、理想的。報酬は僕が調子に乗って買ってしまった大学の教科書です。特にオススメなのが「確率モデル入門」。爆笑の一冊です! (微塵も理解できない自分の脳味噌が笑いどころ! って、アチャ〜、ネタバレしちゃった〜! メンゴメンゴ〜!)

Posted by iwakura 23:53

エマ

2003年05月17日

風邪をひいていたので、登校、勉強、外出、会話、運動、更新、などの、ありとあらゆるアクティブな行動をサボり倒していたのだけれど、そろそろ具合も良くなってきたので復帰。マジであのゲーセン許さねえ、冷房キツ過ぎんだよ。コラムスやりながら凍えたっつーの。そりゃ風邪もひくわって話。まあ俺が大学にちゃんと行ってれば避けられた悲劇なんだけどさ、そこで「お前が大学に行かないから悪いんだ」っていう非難を俺に浴びせるのは、何とも不人情な事だと思う。確かに大学に行かなかったという点においては俺が悪い、それは認めよう、しかし、だからと言ってあの糞ゲーセンが冷房をガンガン効かせて俺に寒い思いをさせた上、風邪までひかせしめていいのかと言えば、それは違うだろう。高々大学をサボった程度の咎で、発熱、鼻づまり、喉の痛み、関節の痛みなどを伴った比較的重めの風邪をひかされてはたまらない。もしもこの風邪が、大学をサボった俺に対する天罰なのだとしたら、天はその量刑を見誤って行き過ぎた刑の執行をしてしまったのだと言う以外にない。これは言うなれば過剰防衛ならぬ過剰天罰であって、むしろ過失は天の方にあるのだと主張したい。つまり俺は被害者であるからして、今回の風邪によって休まざるを得なかった大学やサイト更新においては、一切の責任を負う必要がない。要するに、俺は悪くない。何事においても俺は悪くない。万物流転のことわりに支配されし現世においても「俺は悪くない」という真理ばかりは片時も揺るぐ事なく在り続ける。俺は悪くない。俺に関して何らかの不都合・不具合が生じた場合、それは俺以外の何者かがそうなるように働きかけたという事であって、その不都合・不具合に俺がどの程度まで関わっているかの度合いに関わらず、100%俺は悪くない。とうとう履修している授業の9割をサボるまでになったが、俺は、悪くない。単位が取れそうにないが、俺は、悪く、ない。大学のことを考えると胸が苦しくてしょうがないが、俺、は、悪、く、な、い。いっそ関東大震災でも起きてくれ。

Posted by iwakura 14:17

OMR 1

2003年05月19日

昨日は超インドア系アウトドアイベント、マンガ回し読み大会に参加して参りました。

当日は朝から生憎の曇り空、爽快な五月晴れとは相成りませんでしたが、インターネットを介して集まった大人連中が大空の下で黙々と漫画を回し読みし続けるという、ある種の前衛アートを思わせるような非日常的光景が、日曜の代々木公園にて白昼堂々と展開されるという状況にはたまらぬ魅力を感じてやみませんでしたので、張り切って参加して参りました。

まあ「張り切って」という部分には若干の誤謬がございまして、実際は朝の11時に主催の相沢から「早く来い」的な電話で叩き起こされて眠い目をこすりながらダラダラと向かったのでございます。しかしそんなかったるそうな事を申しても何かと感じが悪うございますから、「前向きな気持ちで参加したんだぞといった気配を文章のそこかしこに忍ばせておくことにしますれば万事滞りありますまい」、という意図のもと、「張り切って」などと、真実ならざる言い回しを用いてしまった次第でございます。神聖なるオフ・レポ (OFFLINE-MEETING-REPORT) において、このように我が身可愛さからの詐言を記してしまった事を深く謝罪すると共に、これからのオフ・レポ (OFFLINE-MEETING-REPORT) には一切の詐術を用いず、ありのままの真実のみを記す事をここに誓います。

さて、50冊近い漫画を2つの袋にパンパンに詰めヨタヨタと歩くみすぼらしい糞オタク野郎(要するに私)は、電話を受け取ってから丁度1時間後、つまり正午きっかりに、洒脱でモダンな若者の街・原宿に辿り着きました。何時の方角を見渡しても、目に映るのは自信に満ちたファッションと足取りでこのソフィスティケイテッドな街を闊歩する若者の皆様ばかり。それに比べ、私と来たらまるで家を失った日雇い労働者のような格好をしているばかりか、両手には漫画が大量に詰まった袋まで携えていて、まるで艶やかに羽ばたく蝶の群れに入り交じった一匹の蠅のよう。一歩、また一歩と歩みを進めるごとに、私のみすぼらしいプライドが、ぎい、ぎい、と、金具の錆びたドアのような音を立て軋みます。

私は一体何をしているんだ。一刻も早くこの場から逃げ去りたい。家に帰り、電脳空間に閉じこもってアイデンティティを守りたい。熱くしたガラスをいきなり冷水に浸したら割れてしまうように、私の自我も今、この周囲との外見的、及び内面的な温度差から、瓦解の危機に瀕しているのです。しかし折角苦労してここまで参ったのです、このままきびすを返すのは実に勿体ないし、他の参加者様が持っていらした漫画を是非とも拝見させて頂きたいという気持ちもあります。それに一旦集まりに合流しさえすれば、集団心理の力学に基づき、「これだけ仲間がいればもう恥ずかしくない」という一種の悟り、と言うか開き直りを得られるはずなのです。ならば、一握りの勇気を以てしていざ行かん代々木公園! 改札を抜ければ、目的地はすぐそこです。

(続く)

Posted by iwakura 23:23

OMR 2

2003年05月20日

(続き)

様々なコンプレックスから生ずる憂鬱さと漫画回し読み大会の楽しさを天秤に掛け、どうにかギリギリで漫画回し読み大会を選ぶに至った私でしたが、スケートボードを華麗に乗りこなすストリート系ボーイや、常識などという足枷はとうの昔に捨て去ったゴシックロリータ系ガールの皆様でごったがえす道のりを、大量の漫画を携え歩くという行為は、想像していた以上に困難なものでした。道行く人達が全員オシャレに本気なので、それぞれから発されるオシャレさん特有の波動、これを私は「オシャレウェーブ」と呼んでいますが、その濃度が半端ではないのです。「オシャレさん-オシャレさん」の組み合わせであれば、互いのオシャレウェーブを中和し合うので、容易に接近・接待・接吻・接続が可能ですが、「オシャレさん-非オシャレさん」の場合、オシャレウェーブを発する事が出来ない非オシャレさんは、オシャレさんの発するオシャレウェーブに気圧され、たちまちのうちに精神的圧迫感を感じ、逃亡します。そこで逃亡しない場合、精神圧が臨界点を突破し、自我の崩壊と共に発狂します。ですから、周囲にいる人間が全てオシャレカウンター爆発レベルのオシャレさんであった場合、非オシャレさんの身にどのような悲劇が起きるか、どれだけの惨事が待ち受けているかは、想像に難くない事と思います。私がいかに絶望的な状況に置かれていたか、お分かり頂けたでしょうか。

このままでは座して死を待つのみ、そう悟った私は、この場に仲間がいないのであればせめて声だけでも、と、主催の相沢に電話し、同志の集合場所、同志の人数、同志の読書状況、同志の持ち寄った漫画情報、その他諸々の同志トークにより、自分の中の「仲間がいるし大丈夫感」を大幅アップ、それと同時に、電話に意識を集中する事によって視覚情報を極力シャットアウトし、周囲におわす小憎たらしいオシャレさんどもを内面的に抹殺するという画期的作戦に打って出る事を決意しました。これは名案! 岩倉天才! そうと決まれば早速電話です。自慢のカメラ付き携帯(おしゃれでしょ! ボクだって負けてばかりじゃないですよ!)で相沢にレッツテレホンです。もしもし。「おかけになった電話は…」。留守電でした。主催者の電話なのに、留守電でした。一体どういう事なのでしょう。私にとっては命に関わる一大事なのです、出て頂かなくては困ります。このままでは、大量の漫画を持ったまま路頭に迷い、オシャレウェーブに打ちのめされているところを暴漢に襲われ、財布と漫画と尻を奪われ、生きる希望を失って自害する羽目に陥ってしまいます。それは大変困るので、何とか策を講じねばなりません。ようし…。

背水の陣を敷き、藁にもすがる思いで他の参加者様に電話をかけてみたところ、あっさりと繋がりました。2コールくらいで繋がりました。私はそれまで、どこかで主催の相沢を信じていたので、「突如として代々木公園に強力な電磁波が発生し、電話が繋がらない状況になってしまった」、「どこからともなく現れた山賊に身ぐるみはがされてしまった」などの、やむにやまれぬ事情があったのではないかと思っていたのですが、他の参加者様が余りにも平和な声で電話に出て、「噴水のあたりにいます。結構歩きますよ。」などと仰っているという現実を鑑みるに、相沢の携帯が留守電だったのは明らかに相沢自身の過失です。私の相沢を信じ愛する心は、このような形で裏切られてしまったのでした。しっかりしろ主催者。

ともあれ、集合場所は判明しました。漫画回し読み大会は、代々木公園のほぼ中央に位置する、噴水のある池周辺で執り行われいるとの事。そうと分かれば私の足取りも軽くなります。無闇やたらに小回りのきく小さい自転車を巧みに使いこなし曲乗りを披露する若者や、名前も知らないような打楽器を黙々と鳴らしている若者、毛並みのいい犬と楽しげに散歩する若者、フリスビーを投げて笑い合う若者など、活力に満ちあふれ、今まさに青春真っ只中! といった雰囲気のヤングメンで溢れかえっているこの代々木公園ですが、私ももうそれに気後れなど感じません。何故なら、こんな私にも、私の到着を心待ちにしてくれている仲間がいるからです。友情です。恐らくは、努力と勝利も私を待ちかまえている事でしょう。つまり前途は洋々です。居場所があるというのは、何と素晴らしい事なのでしょうか! 希望と熱意に燃えてくる心、決して挫けぬ強い意志をたたえた瞳、重い荷物をものともせずに振り上げられる両の腕。私を構成する全ての要素が俄に沸き立ち、自然と、自らの光に溢れた心情を詩に綴りだしてしまいます。

Shining ray Find your brand new way.
永遠(とわ)の太陽に手を伸ばして
過去を悔やむより 現在(いま)を確かめていたい

本能に従い素直な言葉を書き連ねたところ、 Janne Da Arc の Shining ray に酷似したポエムとなってしまいましたが、全くの偶然です。酷似というか一字一句違わず、まるでコピペしたかのようですが、断じて違いますので誤解のなきようにお願いします。見ようによってはこういったページを参考にしたかのように見えますが、錯覚です。人間の目というのは案外騙されやすいものなのです。

高尚な詩を吟じているうちに、ようやく噴水のある池まで辿り着きました。電話によれば、この池の近辺で我が同胞達が漫画を読み耽っているはずです。はてさて一体どこにいるのやら…。と周囲をキョロリキョロリと見渡してみますと、まぶしくきらめく噴水の向こう側100メートル、池の対岸にて、何やら7名ほどの男女が揃って下を向いて座っているのが辛うじて見て取れます。もしや…。私の胸は期待に高鳴り、出来うる限りの早歩きで、池の向こう側まで水際に沿ってぐるっと迂回していきます。そして徐々にその集団に近づくにつれ、期待は確信へと変わります。若い男女が微動だにせず、座ったり寝転がったりしながら黙々と漫画を読んでいるのです。アクティブな若者が集いほとばしるパッションを炸裂させているポジティブパーク・代々木公園において、それは全く異質な存在でした。高級フランス料理屋におーいお茶が置いてあるような、そんな絶望的なまでの場との乖離感。そうです、これなのです。これこそが私の求めていた空気、私が欲してやまなかったしょうもなさなのです。

どうやら集団の方も私に気がついたようです。こちらをチラチラと窺っています。きっと大歓迎してくれるはずです。何しろ待ちに待った新たな同志ですし、それに漫画を大量に持ってきているわけですから、これで歓迎しない道理がありません。もしかしたら、一人くらい嬉しくて泣いちゃうかも知れません。それもいいでしょう。私は優しく微笑み、その人を抱きしめてあげる事でしょう。これこそが同胞愛です。何と清らかで美しい事でしょう。素晴らしい!

そして私は荷物を置いて、にこやかに挨拶しました。「いやいやいや、どうも、こんにちは!」会心の出来です。嫌みがなくまったりとし、それでいてしつこくなく、豊かな味わいがいつまでも続く逸品です。これに先客の皆様の歓迎の言葉が加われば、これは「挨拶と歓迎」という名のアート、芸術とすら言えるかも知れない、至高のコミュニケーションと言えましょう。さあ、遠慮せず、心から歓迎して下さい!

「あ、岩倉きたよ」
「ふーん」
「あー」
「どうも」

え、それだけ。

(続く)

Posted by iwakura 23:08

OMR 3

2003年05月21日

(続き)

合流したのでその場に置いてある漫画とかを適当に読んだりハンカチ落とししたり相撲とったりしてたら夕方になって薄暗くなってきたので帰った。楽しかった。

(終)

Posted by iwakura 23:08