金持ちになりたい、恋人がほしい、不老不死になりたい、明晰な頭脳がほしい、などなど、世の中には IQ の低さ丸出しの欲望がこれでもかとばかりに渦巻いているので、無闇な外出は大変危険である。一歩でも外に足を踏み出そうものならば、たちまちのうちに近隣住民の発する煩悩エナジーの激流にのまれ、清廉潔白な心も、ドブ色のマダラに染められてしまうであろう。そうなってしまったら、その人は生涯、欲望の奴隷として、無限に湧き出る自らの欲求に応え続けねばならない。その様子は、さながら、底なしの穴を土で埋め続ける作業のようであって、現世にあって既に地獄の様相を呈している。欲望とはすなわち際限なく続く胃拡張のようなものであって、満ち足りたと思えば、そこで拡張が起こって、また欠落が生じ、その欠落をも埋めたかと思えば、またしても拡張が起こり、不足が生じる。そのままの調子で肥大化が進めば、やがてその身ごと、パチン、と弾けるのも自明の理であって、つまり欲望の連鎖の行き着くところとは、破滅に他ならない。然るに我々が真に身につけねばならないのは、小賢しい欲望の満たし方などではなく、己を律する心、すなわち自律の精神である。
先日の更新において、私は「麻雀打ちてー」などと、欲望丸出しの発言をし、その数日後、実際に徹夜で麻雀を打った、つまり自分の醜い欲望を満たすような行為に及んだわけだが、その結果と言えば、何故か私の財布から1万を超える金額が消え失せ、全身に煙草の不快な臭いを身に纏いトボトボと帰宅したのみであって、世の中にこれほどの理不尽もなかろうと断言できるほどに惨めで貧しい思いをするばかりであった。無惨極まる家路であった。これが欲望に生きた人間の末路である。そして私は自らの愚かさを知り、先程述べたような、欲望についての悟りを得るに至ったのだ。
しかし悟りを得たからと言って欲望が無くなるわけではない。現在、私を取り巻く状況というのは実に厳しいものであって、大学・単位・就職などの単語にまつわる、あらゆる事象が、私の心をこれでもかとばかりに圧迫し、明けても暮れても、私の内面は大学一色に染め上げられている。つまり「大学に行かねば」という一心で日々を過ごしているというわけであって、これは言い換えるならば「大学に行きたい!」という欲望に我が身を支配されている状態なのである。ここで、本来ならばその欲望に素直に身を任せ、大学にノコノコと赴いてしまうところであるが、悟りを得た現在の私は、そのような愚挙に出はしない。己を律する心だけを頼りに生きていくと決めた今、私は「大学に行きたい」という欲望を抑え(何故か驚くほどに抑えやすい欲望であった)、自室にこもり、このような文章を書くという苦行によって、己のコスモを高めているという次第なのである。ペガサス流星拳〜〜〜〜!!!! あー暇だ。