31歳の教習所日記

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-プロローグ-

自動車教習所に通うハメになった。

ハメになったっていうか、去年の夏は、一応やる気だったんだよね。俺には年の離れた姉貴がいて、今は半ば母代わりみたいな存在なんだけど、その姉貴に「いい加減免許を取れ!」って説教されて。30にもなって。でもまあ姉貴には色々世話になってるし、免許取って損もないし。ここはひとつ言うこと聞いておくか! ってことで、その時は免許取る気になったわけ。ツイッターでも「俺、免許取る!」なんて、ルフィばりに宣言しちゃったりして。

でも、その宣言がまずかった。なんかその時点で満足しちゃったんだよね。やり切った感が出ちゃった。正直、免許が確定した気すらした。獲得までの筋書きが見えた。ちょろい。免許マジちょろいわ。言ってみれば、宣言した時点で半分取ったようなものなんだよね、こういうのって。だから、ってことは、じゃあ、逆にもう、取らなくていいんじゃない? そういうことにならない? 取れたようなもののために時間と金を浪費するなんて無駄じゃない? 絶対そうだわ。分かんないかなー、この感覚。水ももらさぬやつ。アリの這い出る隙もないアレよ。ロジック。理論? 良く分かんないけどそれ。そもそも、冷静に考えたら「車に乗れたらなぁ~」って日常生活で思ったこととか片手で足りる程度だし。オッケー。教習所の件、オッケーです!

ってことで、免許取る宣言とか一切なかったことにしてゲームばっかしながら年を越したんだけど、ひとつだけ失敗しちゃってたんだよね。何かって言うと、姉貴に「教習所? もちろん行ってるよ」ってウソをつき通してきたこと。これが弁慶の泣き所になった。クリティカル倍率100倍くらいの致命的な弱点になった。そこ突かれたら即死。牛若丸の笛からテレーって垂れてきた唾液がスネに触れただけで破裂する弁慶。

姉貴との話では、設定上は去年の9月から通ってることになってるんだけど、たまに聞かれるわけ。「今、何段階まで行ってるの?」って。はっきり言って「段階」の意味からして分かんないわけ。免許取るのに段階あんの? 全部で何段階? 切りよく10段階とか? 「二段階右折」って言葉は知ってるけど、それと関係ある? マジで全然分からない。でも答えないわけにはいかないでしょ。だからとりあえず無難に「まあ、1段階が? そろそろ? 終わるかな? な~んて……」とか言うわけ。もし「5段階までは行ったよ」とか適当ぶっこいて、5段階なんて存在しなかったらクリティカルだから。弁慶が破裂するから。そこで保険をかけての「1段階」。これなら安全! そしたら、安牌を切ったはずなのに姉貴マジギレ。もう激怒よ。烈火の如く。電子辞書の「憤怒」の項目に参考音声として載ってもおかしくないくらいの怒声。なにしろ10以上年が離れてて、もう母親も亡くなってるもんだから、姉貴は完全に母親バリの責任感を備えてるわけ。だから怒り方が尋常じゃない。電話越しに首を絞められるかと思う勢い。「9月に通い始めて!? いま4月で!? まだ1段階も終わってないって、もう間に合わないでしょ!」、「たまには誠意見せてよ!」って、もう犯罪者を相手にするかのような罵声の数々。マジかー! 「3段階だヨ!」くらい言っておくべきだったかー!! この時点でこんなにキレてるのに、まさか、今の姉貴の認識を下回る「教習所に入学してすらいない」状況だなんて、言えるわけもないわけ。リアルに姉貴が卒倒しかねないから。俺もさすがに自分のボンクラ加減で身内の命を危険に晒すわけにはいかないって思ったよ。

で、現実的に期限について本気出して考えてみたのよ。去年の9月に通い始めたとする。調べたところ、教習所の期限は9ヶ月。となれば。リミットは、今年の6月。6月!? もう全然日がないじゃん! ヤバイ! 通わなきゃ死ぬ! あぶねー! 気づけたー! 気づき尽くしたー! 良かったー! セーフセーフ! シュッ! 滑り込み、セーフ! いい音鳴った~! シュッ! ね。俺もたまにはいい滑り込みする。やるじゃん。最高。俺、最高。こんな最高な俺ならいける。いけるいける! いけるいけるいける! イケルイケルイケルイケル……ウウウ……アアアア~~~~~!!! ズギャギャピピャピャー!!!

ってなったのが先月、4月。

いま、5月。

ゴールデンウィークも終わった。

はい。

まだ、通ってませ~ん! パンパカパ~ン! ズンズンチャッチャッズンズンチャッチャッ! 兵隊さんのマーチでみんなも笑顔~! イェイイェ~イ! ヒューヒュー! ドドンガド~ン! (大砲で爆殺)

これマジで笑えないから。ヤバいどころじゃない、ヤバさの向こう側が見えてくる段階。「“不暇”(ハードスケジュール)と“踊”(ダンス)っちまう」とかキメてる場合じゃない。このままだと、俺か、姉貴か、どっちかの精神が終わる。それくらいのイザコザの気配がある。北欧神話なら、なんかの神が角笛ブオーって吹いて、神々と巨人族の最終戦争が始まる。その激戦の中、ただの31歳のオッサンである俺が手ぶらでぼっ立ち。今の状態、それくらいのピンチですよ。これ6月中にマジで間に合うの? 最大9ヶ月かけるものを、1ヶ月で取り切れるものなの? 全然分からない。マジで怖い!

でももう怖がってても本当にしょうがない事態になったんで、とうとう。本当に、マジでとうとう! 教習所に入学する決意を固めたってわけです。いやー、嘘なんてつくもんじゃない。最近、姉貴からの電話は神に祈りながら出てたからね。「教習所の話題、出るな……!」ってガン祈り。こんな敬虔になったことない。とにかく機嫌を損ねちゃいけないから、とてつもないスピードでハキハキと電話に出るようになったもん。

さーて、この身から出た錆のハキハキ具合をうまいこと活用して、教習所生活もシャッキリポンとこなしちゃうんだからね~! ちなみにオートマ限定です! ヤッピ~!

2012年5月10日 

「入校」。それは、最初にして最大の難関。

お前ら素人には分からないと思うけど、ここが一番ヤバいから。半数は死ぬ。いつだって最初の一歩を踏み出すのが一番難しいんだよ。いきものがかりだってそう歌ってたでしょ。完全にイメージで言ってるけど。なにしろ去年、俺はこの「入校」で挫折してるわけだからね。もうSクラスの難易度なわけ。体操の内村が自我崩壊して肛門で縦笛吹き出すレベルのむずさなわけ。

まあ今年の俺は対策万全だから。「ツイッターで『免許取るぞ』ってつぶやかない」という完璧な立ち回りにより、むやみに達成感を得ないことに成功。入校モチベーションを8割がた維持できた。減った2割は回避不能の自然劣化なので、事実上の10割キープ。やばい。プロだわ。今年の俺、入校のプロ。もう何も怖くない。いざ出陣!!

ウィーン。ここが教習所かー。なんか昼なのに入り口からめちゃくちゃ薄暗いんだけど。節電? それともここダンジョン? ダンジョンの可能性が高い。川口浩の志を受け継ぐプロである俺は2階の受付を目指し、慎重に階段を上っていく。ザックッザックッ(ドラクエの例の音)

!!

ピカピカッ!

トゥルルルルル(渦巻き状に切り替わる画面)

せ、戦闘だー!!

大群……! 若者の大群だー!!

うかつであった。平日の昼とはいえ、教習所はすでに若者の根城と化していたのだった。場に満ちるフレッシュな大学生のオーラ。青春という名の瘴気は、31歳の身には刺激が強すぎる。飛行石の光が炭鉱のジジイにとってきついのと一緒。クソッ……! 俺がきちんとダンジョンに備え、たいまつを持っていれば、この若者たちを燃やして回れたというのに……! なにしろこの若者たちの攻撃手段がいやらしい。やつら、様子を見てくる。ドラクエだと敵の「ようすをみている」って行動はパスを意味するから嬉しいけど、若者の「ようすをみている」は31歳に対して結構ダメージあるからね。「チラッ(何このおっさん)」、「キッ(いまさら免許?)」、「ジトッ(平日の昼だぞ、仕事はどうした)」……。無言の罵声が突き刺さるわけ。もう汗だくですわ。たいまつも持ってないのに汗だく。わけが分からないよ。

しかし逃げるわけにはいかない。回り込まれるリスク(帰ろうと振り返ったら後ろにも若者がいて、ぶつかりそうになり「オッウッアッ」とオットセイのような奇声をあげるリスク)があるからね。あと、今までの若者の話、全部ただの自意識過剰だから。誰もこっち気にしてないから。オッサンが免許取りに行くとか多分そんなに珍しいことじゃないから。分かったらとっとと行け豚野郎!

はい。

受付のお姉さんに「入校したいんですけど」と話しかけ、座って説明を受ける。

「ご用意させて頂いてるプランはこちらになるんですけど」

出た。プラン。調べてないから分かんないけど、ここ重要。どうせ重要。プラン次第で俺の免許獲得の可能性は大きく変わってくるに違いない。お姉さんの話によれば、大まかに分けて「自分で講習の予約を取るやつ」と「受講スケジュールを組んでもらうやつ」の2通りがあるらしい。なるほどね。まあ自分で言うのもなんだけど、自分で予約を取っていくスタイルにしたら、6月中に卒業できる確率、ゼロだね。断言する。行くわけねーから。「通う」って作業、基本嫌いなんだから。完全にスケジュール組まれてた高校ですら終盤はサボってたんだから。ましてや自主的に履修していく方式ではどうなるか? 大学は数回留年した果てに辞めた。それはもう無残な散り際だった。教習所で同じ轍を踏むわけにはいかない。自分を信用するな。「もう誰にも頼らない」なんて言ってられないのだ。選択肢がないことは明白・オブ・ザ・イヤーだった。

スケジュールを組んでもらおう。そう決意した俺だったが、最初から最後まで完璧に組んでもらうプランの料金を見ておったまげた。プラス4万2000円。たけえええええ!! 馬鹿か!! どうせパソコン使えばスケジュールなんてすぐに作れるだろ!! 絶対に4万円分の手間なんてない。基本額と合わせたら32万円近くになる。ボりすぎ。なめてんのか! 俺が自主性皆無で大学も中退したゴミ野郎だからって、なめてんのか!! ヤケクソで取ってもう随分たつこの taigaku.org ってドメイン、なめてんのか!! おい! 31にもなって姉貴が怖くて教習所に通う俺を、なめてるっていうのか!!

もし「なめてます」なんて答えやがったら!!

「ですよね~」としか言えない。

マジこいつら商才あるわ。的確になめてくる。足下を見るプロ。結局俺はこいつらにすがることしかできない。屈辱……! しかし今は雌伏のとき……耐えるとき……! そう覚悟し、最高額のプランをお願いしようとした、そのときだった。

「ただいまキャンペーンをやっておりまして……」

福音である。奇跡も、魔法も、あるんだよ。なんと、いくつかキャンペーンがある中に、その最高額プランを半額の2万1000円にするものがあったのだ! 2万1000円! や、安いいいいい!! 冷静に考えたらそれでも足下見た値段だけど、もう今の感覚じゃ安いいいいい!! あとなんかおまけで「規定時間オーバーでも追加料金ゼロ」とかいうピンとこない特典もあるらしい! 最高! もうこれしかない! このキャンペーンなしじゃ生きられない! 決めたッ! オデ、このいっとういいプランに、決めたどッ!!

「こちらのキャンペーンですね。あの……失礼ですが、年齢はおいくつでしょうか?」

は?

なんで急に年齢の話が出るの?

31ですけど……?

「申し訳ございません……こちらのキャンペーン、30歳未満のかたが対象で……」

はあああああああああああああ!?

馬鹿か!!!!!!!!

いっぱいある。お兄さん、聞きたいこと、いっぱいあるよ。

まず、なんで先に年齢聞かなかった? なんである程度話が進んでから聞いた? パッと見で間違いなく30歳前後だって分かるよね? もしかしてクサいからこっち見たくなかった? その臭いで「こいつオッサンじゃね?」って途中で気づいた? なんにせよ、対象外の人間を相手にここまで泳がした罪は重いでしょ? 希望を持たせてから叩き落とすのが一番残酷だって、知らないかな?

そして根本的なこと聞くけど、その年齢制限の意味って何? 29歳と31歳にどんだけの違いがあるっていうの? はっきり言って、ないよね? 俺、29のころにやってたネトゲ、まだやってるよ? 同じテンションでやってるよ? ってことは事実上の29歳でしょ? それに29のころには完全に三十路の自覚あったし。「俺、31歳くらいかな?」って思ってたし。もう29=31の等式は成り立つでしょ。Q.E.D。我が輩は29歳である。分かったらプラン半額にしろ!

明らかに不満そうな顔をした俺を見て、受付のお姉さんは「ちょっと確認してきます」と裏に回った。いくらなんでも期待を持たせるだけ持たせて「年齢対象外だからダメ」なんて酷すぎたと反省したのかもしれない。ただでさえ若者だらけでアゲンストな空気なのに、職員からすらオッサン差別を食らったらもう戦争するしかなくなる。

ほどなくしてお姉さんは戻ってきた。

「プラス2万円で付けられるそうです」

???

もともと4万2000円のプランが、半額の2万1000円になるキャンペーン。

それを付けるのに、30歳以上のクソオヤジは、2万円が必要。

2万1000円 + 2万円 = 4万1000円。

もとの4万2000円と1000円しか変わらねーじゃねえか!!

ぼったくりプラン価格、がっちりキープ!!

ふざけるのも大概にしろ!!!!

ファッキンジャップ!! エコノミックアニマル!!

とかね。

思いつつもね。

選択肢がないことは明らか・オブ・ザ・イヤーだったので契約して帰りました。32万円近い金だけ取られて帰宅。ドラクエで全滅して街に戻るのと感覚的にはそんなに変わらないね。うける~。デスルーラ~。帰りに渡された、たった数冊の教本の重みがなんともずっしり来たよ。その時点ではそれが32万円そのものみたいなもんだから。

まあ授業は明日からみたいなので、頑張ります。後悔なんて、あるわけない。まどかマギカのサブタイトル全部文中で使おうとしたけど諦めた。

2012年5月11日 

教習所が、不遜にも俺の免許適正をはかりたいのだという。

俺がラオウなら「笑止!」と言いながら順番に職員の頭を粉砕していくところだが、現実はただの三十路なのでおとなしく出席した。まあ、どうせ適正とかあるに決まってるけどね。分かりきってることだけど、こういうことは何事も順序。言われたとおり段階を踏むってことが大切。落ち着いて、理性的に、ことを運ぶのだ。この大人の余裕……しかとその目に焼き付けるがいい。では……いざ参る!! ウオー! 行くぞー! 突撃ー! 皆殺しじゃー!!

教室には意外と人がいた。15~20人くらい? 皆殺しはけっこう大変そう。でもまあ、「あれ? オッサン紛れ込んでない? ちょっと吊るし上げてみる?」ってみんなが訝しみだすほど目立ちはしない、いい感じの人数だったのでひと安心。これがもし4人とかだったら、4人組アイドルグループでブスが目立つのと同じ感じで俺も目立っちゃってたと思うし。逆にあんまり人数が多くても若者オーラの過剰摂取で泡を吹いて倒れてたと思うし、良かった。ツイてる。こりゃ適性検査も100点満点かな!? ガッハッハ。

席に着くと、40歳くらいの、メガネで真ん中分け、紳士的だけどやや性欲の強そうな男性職員がハキハキと大きな声で出席を確認し、この検査の意義について説明を始めた。なんでもこの適性検査は、生徒が自動車の運転に向いてるかどうかを見極める、性格診断のようなものなのだという。だから手を抜かず、嘘をつかず、本気でやれ! としつこく念を押された。はいはい! 俺、性格診断とか心理テストとか大好きだから、超本気でやるよ! ああいうのって、マジ楽しいよね! あ、こういう問題知ってる? あなたが歩いていると、正面に森が見えてきました。さらに進むと、ウシジマ君に置き去りにされた債務者が……

性欲の強そうな紳士職員はしっかりとした抑揚で説明を続けた。検査は7種類(だったはず)の項目に分かれており、順次説明を受けながら、制限時間内に問題を解いていくという方式らしい。連続で小テストをやるような感じ?

さっそくテスト用紙をオープンする。最初に挑戦する項目は、「左右に並んだ文字や数字を見比べて、同じなら○、違っていたら×を付ける」というもの。たとえば「あいうえお」と「あいうおえ」なら、文字の並びが違うから×。な~るほど! 要は脳トレね! 直感がモノを言うやつ。オッケーオッケー。把握しました。

つまり……

オッサン超不利だわ。

やばいわ。

最近、自分の脳の動きが明らかに鈍ってるっていう自覚あるからね。文章とか読んでても、スッと頭に入ってこないっていうか……。リアルに悲しい老化の話。

ひぎぃーっ! ずるい! 若い人が有利なのずるい! もっと別なのにしてよ。「気の進まない申し出をなるべくやんわり断る」とか、「魚のワタをもっともらしくうまがる」とか、そのへん評価する感じにできない? そこなら脳トレよりは多少頑張れる気がするんだけど。だめ?

「はい始め!!」

性欲強そう紳士の鋭い号令によって、無情にも検査はスタートした。こうなったら四の五の言ってはいられない。やるしかない。確実に、かつ素早く! 制限時間内に問題を解き終わらなければならない。俺はここ1年で一番の集中力を動員し、左右の文字列を見比べる作業に入った。

「21346 21346」。……同じ! ○!!

「あさきこわ あきさこわ」。……違う! ×!!

「82568 82588」。……おな……違う! ×!!

いいぞ。この調子だ。神経を研ぎ澄ませ。慎重に、しかし迅速に。アサシンのように事を為せ。俺ならできる。「スカイリム」で暗殺者クエストに熱中した俺ならば。シャッシャッシャッシャッ! 「スカイリム」で山賊の死体から装備をはぐのと同じくらいの猛スピードで俺は○と×を書き分けていった! そして、もうすぐ折り返し地点、というその瞬間!!

「はいそこまで!」

えっ!?

え……えーっ!?

はやーい!!

光陰矢の如しなこと疾風迅雷の如しの巻~!

ちょっと待って! 周りのみんなは? 周りのみんなはどのくらいまで行ってるわけ?

「じゃあすぐに下敷きで回答欄を隠してください!」

この野郎!!

どうなのこれ……どうなの!? 終わんなかったんだけど!? でもアレでしょ? さすがに、最後まで行かないのが標準のテストなんだよね? いくらなんでもそうでしょ? みんな最後まで行ったら結果に差がつかないから、敢えての早めなんだよね? そうだよ。絶対そう。

でも、半分も終わらないっていうのは……。

いやいや! 全部終わるのは多分F1レーサーとかだから。パンピーが半分もいけば表彰もんでしょ。シャンパンファイト始まるでしょ。絶対そうだよ。よーし、気を取り直して頑張っていきましょう~!

と。

張り切った俺ではあったが。

テスト終了時、残ったのは敗北感だけ。

終わった……。全項目あかんかった……。

中でも特にヤバかったのが、「とにかくスピード重視で書く」という系統の競技。そう、「競技」。もう競技だよあれは。たとえば、問題用紙に「〼」マークが一面ズラッと並んでいるわけ。で、そのマークの中の「/」に書き足して「×」になるように、線をピッピッって書き込んでいくわけ。書き込む線はどんなに雑でもよくて、交わってさえいればいい。だからほんとにスピード勝負。ものすごい前傾姿勢で、ズババババババー! って線を書き足していくわけ。まあね、やること自体は簡単だよ。

じゃあ何がヤバかったって言うと、あの性欲の強そうな職員。スケベの権化。全身肉棒野郎。あの男による、凄まじい煽り。もうね、滅茶苦茶せかしてくんの。

「さあ早く早く早く! もっと早くもっと早く! まだまだまだまだ! もっと早くできる! もーっと早くできる! はい急いで急いで! 早く早く! そうそうそう! さあまだいける! そうだ早くなってきた! ハイハイハイハイそのままのスピードで! 早く早く早く! さあさあさあさあさあ!」

うるせーわ!! 気が散るわ!! お前の夜の営みじゃねーんだぞ!

でもね、困るのがさ、こんなやりすぎたAV男優みたいな煽りでも、聞いてるとだんだん、「周りのみんなはものすげースピードでやってんのかな?」とか思えてくるわけ。「負けてらんねー!」みたいな気分になってくんの。だから結局俺もスピードぶち上げちゃって、全力でズガガガガー! って線を書いてくわけさ。必死だよ。そしたらさ、もう、線が、亜空間に行ってるんだよね。「〼」マークと全然関係ないところに線があんの。触れてない。浮いてる。焼き魚に添えられたハジカミみたいになってる。もう論外なのよ。いくら早くても失敗してたらどうしようもない。でも、ほんとコンマ数秒が惜しいから、直してる余裕なんて微塵もないわけ。映画とかゲームの駄作って、こうやって勢いだけで世に出されていくのかな? っていう、後に引けない感じがあったわけ。

今にして思えば、あんなの見え見えの罠だった。「早く早く!」とか言われて、バカ正直に早くして、「そうそうその通り!」とか、全員に対して適当に言ってるだけなのに、なんか気持ちよくなっちゃって、調子に乗って。その結果が失敗の数珠つなぎ。

これが運転だったらさ、

「もっとスピード出して~!」

「オッケー!」

「キャー! 最高ー!」

「そうだろー? ガンガン飛ばすぜー!」

ドガーン!!!

アタシは死んだ。

ってことでしょ? どう考えても運転に向いてない。絶対免許持ったらダメ。

ほかにも「△」をとにかく早く描きまくるテストがあったんだけど、そっちも煽られて焦りまくって、「△」がどんどん雑になって最後の方は「○」描いてたからね。前もって「焦って○にしないようにね」って言われてたのに。もう駄目。不適合者。免許取れない。まさかの退学。俺が教習所に払った32万円、たった1回の授業でパー。こえー。車、マジでこえーわ。まだ乗ってもないのに、「一瞬で全てを台無しにする」っていう車の怖さを肌で感じられたわ。

検査の最後はごく普通の性格診断だったんだけど、こんな敗北感を感じてる中だからさ、「たまにふと死にたくなる」みたいな項目があったら、まあ「はい」ってするじゃん。今まさにそうなわけだから。さすがにそのあと出てきた「誰かが自分を陥れようとしている」って質問は「いいえ」にしたけどさ。この窮地、誰かの陰謀じゃなくて自業自得だから。そこはギリギリ分かってるから。でも色んな質問に素直に答えていったら、自分でも「あれ? こいつネガティブすぎない?」って心配になる回答群が出来上がっていってね。採点者に「運転中にいきなりどこかに突っ込みそう」って判断されても全然おかしくない。ほんとヤバい。終わった。検査の結果発表は3日後らしいので、3日以内の世界滅亡に期待するしかない。

そんで適性検査の次は記念すべき最初の座学があったんだけど、そこはなんかオバちゃんがムニャムニャ話してるだけだったので、検査で疲労困憊した俺もムニャムニャして終わった。うっすら残った記憶によると、どうやら「免許取得までの教習の流れ」とかを話していたみたい。

一応、免許取得の進行度をあらわす「段階」が「2段階まで」って分かったのは収穫だった。あのとき姉貴との電話で「今? 3段階だぜ!」とかぶっこかなくて良かった。命拾いした。まあその命も、いつまで続くか分かったもんじゃありませんがね……。

ああ、ラオウならこんなとき、どうするんだろう……? あんなに近くに感じていたラオウのことが、今はもう、分からない。教えてくれ、ラオウ……。(そうつぶやき空を見上げると、満天の星空。その中に……ひときわ蒼い輝きをたたえる死兆星が!)

2012年5月13日 

いよいよ、本格的な授業がぶっぱじまる。

免許取得を目指す者としての自覚と責任で、身の引き締まる思いだ。

ましてや俺は、ひと月での免許取得を義務づけられた身。失敗すれば姉ゴルモアの大王が到来し我が身は破滅する。俺が破滅すると言うことは、すなわち俺に認識してもらうことでようやく存在できている君たち人類の存続も危ういということなので、まったく責任は重大だ。万にひとつの油断すら許されないのだ。

とは言っても。

とは言ってもねぇ~。

今日、座学だけなんだよねぇ~。

座学だけ、な~んだよにぇ~。

前回チラッと書いたけど、導入編みたいな座学が適性検査のあとにあったわけ。オバちゃんがムニャムニャ喋ってたやつ。あれを受けてみての印象なんだけど……どうもね。この座学ってやつ? ……楽勝くさい。いや、間違いなく楽勝。ザコ。バブルスライム。かと思ったらただの水っぽい糞。なにしろ座学で生徒がやることって、話聞いて、ビデオ見て、メモ取るだけだからね。少し刺激のある死刑囚生活みたいなもん。そんなのに身が入るわけないでしょうが。「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす」とか言うけど、ドラゴンが下痢便相手に全力のファイヤブレス吐くと思う?

吐くかもしんないわ。「くせーわ!」ってキレて吐くかもしんない。例え失敗した。

それはそれとして、座学は軽く流す程度にチョロッと受けりゃいいのよ。

と。余裕かまして受けた、1コマ目の座学。

案の定、めちゃくちゃ楽。

楽ぽよ~!

なんならちょっと学生時代を思い出してウキウキするくらいだったからね。後ろの人にプリントとか回していく感じとか、スゲー懐かしい。久々に「生徒」やってるなー! っていうね。でも周りにいるのは若い衆ばっかりだから、ノスタルジーに浸ってるの俺だけだけどね。とんだロートル野郎。部活に「やってるか~」とか言いながら混ざってきたけど全然動けてないOB。実際、後ろからプリント的なのが回って来たのに全然気づかなくて、プリントで肩をファサッて叩かれたからね。完全に流通のボトルネックになってた。「アッ ハイッ」とか言って慌てて受け取ってね、超恥ずかしかった。もういっそ、そのプリントで、肩と言わず首を、ズバッとカッ切ってくれたら楽だった。ったく、あの小僧……情けかけやがって……。

ともかく、まあチョロかった。マジで座ってるだけで終わった。正直、「座学」の「学」の要素がほとんどなかった。ただの「座」。THE 座。

なんかこのままトントン拍子で免許取れそうな気がしてきたわ。見切った。教習所、見切ったわ。はいはい、このパターンね。太刀筋が読みやすすぎるわ。真剣白刃取り余裕。二本指でピッて止めるわ。泥棒三姉妹がキャッツカード持つときみたいにピッて。

さ~て、見切ったところで、本日最後の座学! 軽くヤッツケちゃいますかね~!

はぁ~よっこらしょ!

カチッ!

ドガーン!!

アタシは死んだ。

当たった……。当たってしまった。地雷に。地雷講師に。いや地雷って言うか……モンスター? 戦場の魔物? 人の世の理(ことわり)に縛られぬザ・ビースト? こっちが白刃取りの構えを取ってたら、いきなり肛門にストロー刺されて、猛烈に空気入れられたみたいな。「え? 俺は何をされてるの?」って思ったときには、もう死亡寸前のセル。大膨張。で、ボカンよ。

とにかく、その講師が前に立った瞬間から、不穏な気配が漂ってた。

糸目のニコニコ顔が顔に貼り付いた、ややヒョロ長の男性講師。妙に白くて長い指を、胸の前でサワサワと絡ませ、カマくさいとしか言いようのない動きで自己紹介をした。

完全に挙動不審。

ちょっと……この人、生徒の顔を全然見ないんだけど。床のほう見てる。踏み絵の最中? こういうのってフェイス・トゥー・フェイスの信頼感が大切なんじゃないの? どんどん不安感が募ってくる。もしかして、正面を向くと石化すると思ってんのか。生徒にメデューサいたか。確かにドラゴンアッシュの一員みたいなドレッドヘアーのやつはいたけど。怖いから俺もあんまりそっちは見れなかったけど。でも頑張ってよ! さすがに講師はカツアゲされないから大丈夫だよ!

ビビってるのかなんなのか分からないけど、声もなんかおかしい。飄々としてて全然真剣味が感じられない。コシがない。フニャフニャしてる。小鳥とかにエサまいて「おいでおいで~」って言ってるような声で全部話してくる。あ、だから下見てたの? 俺たちに見えない小鳥が見えてた? そいつら相手に授業してたのかな? それなら納得いく。ほんと、生徒に話しかけてる感じがそれくらいしない。独り言の感じがすごいんだよね。「そんな感じで~、やっていきますね~。はぁ~い」みたいに。なにそのセルフ返事。

で、気になるのが、言葉尻ね。断定をね、まったくしないのよ。交通ルール、法律の話なのに。「~なときは、○○してはいけない!」とか断言することでお馴染みの、あの交通ルール。教習所の講師なんて交通ルールの権化みたいな存在でしょ? なのに、ルールをめちゃくちゃふわっとさせてくる。

「~~っていう行為はね、しちゃいけないと。ね。そういう感じみたいです(笑)」

人ごとか!

「みたいです」ってなんだよ! 断言しろよ! 厳密に定められたルールだろうが! 新たに発見された部族の風習じゃねーんだぞ! 「あの像に近づくと長老が怒り狂うみたいです」みたいなトーンで法治国家・日本のルール語るな!

「で、これはこうこう、こういう決まりだなので、皆さんもそうしたらいいんじゃないのかな? って、思ったりなんかします(笑)」

おい……! この講師、マジで大丈夫か……? 広川太一郎が憑依したりしてねーか……?

ほかの生徒も異変を感じたのか、教室に「やばくね?」ムードが充満してきた。明らかにみんな集中してない。前の授業がマトモだっただけに、このヒョロキョド講師の不安定さが余計際立ってしまった。

しかしヒョロキョドはこっちを見ないので俺たちの雰囲気もどこ吹く風、今もなにやらマグネット式のミニカーをホワイトボードに貼り付け、進路変更のルールについて説明している。だが見ようによっては、精神の崩壊した大人がマグネット遊びをしているだけのようにも見える。「いくらなんでも精神崩壊とか言い過ぎだろ!」ってみんな思うかもしれないけどね、マジだから。マジのやつだから。この人に「危険なことが起きるかもしれない、と常に意識する、“かもしれない運転”を心がけましょう」とか言われても、こちとら“マジかもしれない疑惑”が頭に渦巻いて、全然頭に入ってこないんだから。

さらにマジっぷりに拍車をかけたのが、ちょいちょい挿入される不穏な話。ブレーキのヘタなバイク運転手はどうなるのか、という話題では、嬉しそうに「即死できた人、これは幸せです(笑)」、「こういう場合、うまくしても内臓破裂とか(笑)」などとゴキゲンに語る。

なんも笑えることないわ!

その後も、漫画家の蛭子さんを彷彿とさせる、人として大事な部分のネジが外れたようなブラック発言を連発。

「死角って言葉ありますよね。車にもそれがあるんです。死の角度(笑)。そこに注意しないと、死ぬヨ♪ ってことですね(笑)」

ポップすぎない!? こんな弾んだ声で死を語るやつ、アニメとかでしか見たことないよ。「死の道化師」みたいな異名を持つ少年とかのやることだよ。

「ではトラブルの映像を見てみましょう。……皆さんトラブルとか好きですか?(笑)」

好きなわけあるか! 2012年最低の質問! 「うん」って言うの悟空とルフィと織田裕二くらいだろ!

「バックで発進するのって難しいんですけど、かといって、人に誘導してもらうのって、プライドが邪魔するんですよね(笑)」

知らんわ! お前のプライドの問題だろ! めんどくせえやつだな!

「大卒の人って、現場を知らないですからね」

急にどうした!!! 急に大卒への憎しみ、どうした!!! また変なプライド出たか!! 落ち着け、落ち着いてくれ!

もうやだ! こわいこわい! このヒョロキョド講師、こわいよ! 真顔で生爪剥がしてきそうだよ! そのあと顔が「ぱふぁ」って花びら状に開いて、そこが巨大な口になって、で、俺の肩を掴んで、頭を……うわああぁあああァァァアアーーー!!!

俺の精神が終わりかけたその瞬間、ようやく授業時間終了のチャイムが鳴り響いた。

た……助かった……。

天使の降臨を告げる鐘の音だって、ここまで神々しく聞こえたりはしないだろう。

いや、参った。

座学をナメてはいけなかった。

教習所に潜む闇は、思った以上に深そうだ。

これからは360度、全方位が死角だと思って「かもしれない通学」を心がけようと思う。「今日はヒョロキョドの授業かもしれない」。「物陰から急にヒョロキョドが現れるかもしれない」。「ヒョロキョドがトイレのドアを順番にノックしてくるかもしれない」、「そのときは目をつぶり、心の中で“私は大卒じゃありません。中退です”と10回唱えないといけない」……。皆さんもぜひ、気をつけてください。ヒョロキョドは明日、あなたの隣に引っ越してくるかもしれないのですから……。

2012年5月14日 

はじめての技能教習。

スケジュール表によると、今日の教習内容は「模擬」らしい。「模擬」。まさか、あれ? シミュレーター? バーチャルのやつ? おいおい……! 超楽しそうじゃん……!

要はゲーセンのレースゲーみたいなやつでしょ? それに若干、教習所の仕様が入ったみたいな。たとえば、もたもたして発進が遅れると「遅い!」とか言って減点とか。あと急ブレーキとかヘタなハンドル操作とかで乗り心地が悪くても減点。クソ粗いポリゴンでできたレースクイーン(乳揺れあり!)が激怒してくる。チェックポイントを通過すれば「TIME EXTENDED !!」の表示とともに制限時間が回復するので、うまくミスを減らし、ゴールを目指すのだ! 人を轢いたら即刻ゲームオーバーで追加の100円投入が必要となるから気をつけろ! ただしレアモンスターのイノシシが出現したら、ひき殺して料亭に持ち込んで大量ボーナス獲得のチャンス。さらに、上機嫌になったレースクイーンとの会話で的確な選択肢を選んでいくと、道路の脇にヨーロッパのお城風の建物が登場して……?

脳内ファミ通を熟読したのち、受付カウンターで今日が初めての技能教習だと告げると、インストラクターが迎えに来るまで待つように言われた。ここで待つのか……。はっきり言って周囲は若者の楽園、東京ワカパラダイスオーケストラそのもの。やめろ……! 囲むな……! お前らは囲んでるつもりは毛頭ないだろうけど、今の俺、あと1枚で完全試合になるオセロくらい追い詰められてるから……! ギブアップ……! ギブアーップ……!

祈りが通じたのか、次の授業がもうすぐなのか、はたまた俺から異臭がしたのかは知らないが、若人たちは次々とその場を立ち去り始めた。

助かった……。

これでようやく1人になれ……

え……!?

なんかうしろに、若い女の子が2人、いる……!?

会話で正しい選択肢をクリックした覚えはないので、多分告白ではない……。

ということは……?

この子たちも残っているということは……?

まさか今日のシミュレーション、3人セットで……!?

やだー!!

やだやだよーー!!

絶対やだよ~!!

頼むから取り越し苦労であってくれ! 31歳メタボ野郎が平日の昼間からハタチくらいの女の子といっしょにオートマ限定の超初心者向けシミュレーションを受ける、そんな生き恥だけは!! どうか!! お願い! どうか、あの女の子たちが違う目的で残ってますように! せめて「あんた私のこといやらしい目で見てたでしょ!」ってブン殴られるだけで済んでくれ! 痴漢冤罪のパターンであってくれ!

必死で痴漢冤罪の神に「ご加護を!」と祈っていると、ようやくインストラクターが登場した。

え……!?

おい……お前!!

ヒョロキョドじゃねーか!!

最悪……最悪だよ! よりによって昨日悪夢のような授業を展開したヒョロキョド。生まれて初めて、マジで目を疑った。ただでさえピンチの状況で何をノコノコ出てきてんだテメーは。もうこうなったら、全方位的に祈るしかない! 神様仏様ヒョロキョド様! どうか声をかけるのは俺だけにして……!

こんな虚しい祈りもなかった。ヒョロキョドは当然のように3人の名前を呼んだ。もちろん、後ろに座っていた女の子2人と俺のことだ。神は死んだ。

どうすんだよ……。シミュレーター、交代で使うわけ? 俺がアクセル踏みすぎてポリゴン車を爆発させるとこ、20歳くらいの女子2人に「うわ~……」って顔で見られるの? それを見てヒョロキョドが「今のは現実なら五体バラバラですね(笑)」とかダークなこと言ってくるの? 泣きそうなんだけどマジ。帰りたい……帰りたい!!

しかし帰れるわけもないので案内に従って部屋へ。そこには幸運にも、4つの模擬マッシーンが設置されていた。あ……あぶねー! ほんと命拾いした。別々にやれるのね。これならみんな自分の操作で必死になるから、どんなダサい失敗や糞プレイをしても多分バレない。まあ糞プレイっつっても緊張のあまりリアル脱糞したらバレるだろうけど、さすがにそこまでだらしない肛門はしていない。

模擬マッシーンは、車のコックピットを忠実に再現しているようだった。パッと見は本当にゲーセンの古いレースゲームっぽいけど、キーの差し込み口や左右のミラーまである点は少し違う。俺たちはヒョロキョドの指示に従ってシートに座ると、モニターに流れ出したムービーに従い、シートベルトの装着などを行なった。そしてキーを回すと、ブロロロンとエンジン音が鳴り始める。軽くシートが振動を始め、まるで本物の車に乗っているかのようだ。ちょっとちょっと! リアルでいいじゃない~! 楽しくなってきたよ~!

その後もムービーは続き、各部分の名称や、運転するときの心得などが説明されると、いよいよ操縦方法の解説が始まった。

来た。

始まる。

いよいよ俺がこのマシンのハイスコアを塗り替えるときだ。そしてスコアネームを適当に「AAA」って入力したら「CAP」に置き換えられて、「あ、カプコン製だったんだ」と気付くのだ。間違いない。見え見え。展開バレバレ。さあ来い! ゲームモードよ、来い!!

「以上がハンドル操作のコツです。では、実際にハンドルを切ってみましょう」

来たぁー!!

「はい、右に回して」

っしゃー! くるくるくるくる

「はい、戻して」

オリャー! くるくるくるくる

「では、左」

よーし! くるくるくるくる

「はい、戻して」

そいー! くるくるくるくる

「以上が、ハンドル操作になります」

糞ゲーか!

つまんねーわ! 2点。なんだよこれは。単調すぎる。しかも全然スコアとか付かないし。俺が絶対に一番うまくハンドルさばいたはずなのに、Sランクとか表示されないし。ファミコンでももう少しゲーム性出してきたぞ!

っていうか、それ以前に、俺が操作してる間も、画面がお手本ムービーのままだったんだけど? ハンドルを切ったら画面も連動して動く、みたいな要素皆無だったんだけど? いつゲームみたいな感じになるの? 早くポリゴンカーでポリゴンタウンをポリゴンドライブさせろよ。なんかさ、すっごく嫌な予感がするんだけど……まさか……まさかの話よ? これ、ずっと映像垂れ流し? ただビデオに従うだけ? ビリーズブートキャンプ? ヒョロキョドドライブキャンプ? っていうかヒョロキョド、ムービー任せで座ってるだけ。完全に無言。ムービーの再生ボタンを押すだけの生き物。なんなんだよマジでこの授業はよ……。どんだけ肩すかしなんだよ……。

俺の悪い予感は大体当たる。結局この模擬教習は、ゲーム要素など微塵も登場しないまま、ムービーに合わせて「運転してるフリ」をするだけで終わった。「おかあさんといっしょ」を見ながらマネして踊ってる子供と大差ない感じで終わった。ぐるぐるぐるぐるドカ~ン! 確かにエンジン起動、ハンドル回し、ウィンカー操作など一連の流れは把握できた。ためにはなった。でもさ、俺はずっと「教習所ではバーチャルな運転ができる」と思ってたわけ。夢見てたわけ。今となってはその根拠がどこにあったのかまったく思い出せないけど、そう信じてたわけ。だから32万もの大枚をはたいたわけ。なのにこの裏切り。もう返金でしょ。訴訟でしょ。絶対許さない。最低5000円は返して欲しい。めちゃくちゃリアルな数字言って申し訳ないけど、俺、本気でがっかりしてるんで。ぴったり5000円ぶん落ち込んでるんで。

模擬マッシーンから降りるとヒョロキョドから「これから頑張ってね」的な言葉があり、授業はあっけなく終了。アリガトウゴザイマシタ……と生気のない挨拶をして速攻その場を立ち去ろうとすると、「まだチャイム鳴ってないから出ないでねー」と制止された。なんかその辺、厳密なんだってさ。ふーん。あ、女子たち、冷たい目で俺を見てるね。すぐに帰ろうとして失敗した俺をダサいと思ってるね。

な~るほど!

ここで「女の子の前で赤っ恥」って要素もキッチリ回収してくるわけね。

よくできたシナリオですこと!

この分だと、リアル脱糞する展開もいずれ待ち構えてるのかな!? これからの教習所生活、より一層気が抜けませんなァー! はー、楽しみ楽しみィー!

2012年5月15日 

今日、一人の男が、風になる。

男の名は岩倉。のちに「首都高の颶風(ぐふう)」と呼ばれることになる、不世出の駆闘士(ハシリヤ)である。彼は近い将来、スピードと熱狂だけが支配する新世紀「疾風時代(ツァイテン・デア・シュトゥルム)」の立役者となるのだが、それはまだ、先の話……。

ドンドドン……ドン……
ドンドドン……ドン……

ファ~ ファファファ~
ファ~ ファファファファ~
(ティロロロロ)

テテーン!

『Legend of Iwakura ~Wind loved him~』

ババババーン!!

……はいカットー!

いやー、最高のオープニングができちゃったなー。壮大なスケールで描かれる一大スペクタクルになりそう。スペクタクルの意味、いまいちよく分かってないけど。とにかくさ、この「31歳の教習所日記」って、まあ普通に考えて実写化されるわけじゃん。「13歳のハローワーク」に名前似てるし。だから、今のうちから構想を練っておこうと思ってね。で、5月15日、つまり今日を、オープニングのシーンに持ってこよう、って思ったわけ。

なぜって?

この風神の化身、岩倉が初めて本物の車を運転する日だからさ……!

そう。

そうです。

実車教習なのです!

今日から、マジモンの車で運転を始めるのです!

はっきり言ってテンパってる。実写化とか白昼夢みたいなことを言い出す程度には追い詰められてる。あんな鉄の塊、俺が動かすの? 超危ないじゃん。操作間違えて自爆まである。同乗者も込みで、死はまぬがれない。もうこうなったらさ、せめて教官がおじいちゃんであることを祈るしかないよね。余命的な意味で。老い先的な観点で。

自らの死神としての宿命を呪いながら受付を済ませると、練習用コースで教官を待つよう指示された。受け取った乗車チケットには、今日の担当教官の名前が印刷されている。どうやら男性のようだ。年齢が気になる。

練習用コースには、ちょうど生徒や教官が集まりだしていた。教官は生徒から離れた場所できれいに横1列になり、こちらを向いて並んでいる。平日の午前だというのに、15人はいる。多い! 正直貸し切り状態だと思ってたので血の気が引いた。いきなりこんなたくさんの人たちと、俺みたいなアブソリュート初心者を一緒にやらすの? けっこうサバンナの動物みたいにワイルドな育て方するのね。

ほどなくして授業開始のチャイムが鳴った。一列に並んだ教官たちから「よろしくお願いしまーす!」と挨拶があり、係員が生徒の乗車チケットを確認して、教官の名前を呼んでいく。担当教官とファーストコンタクトをする瞬間だ。

いよいよ次は俺の番……。

係員がチケットを見て「○○インストラクター!」と呼びかける。

さて、俺を担当する気の毒な男性教官は……。

来た!

50歳は確実に超えている、白髪のオッサン!

理想はおじいちゃんだったのだが、まあ早めの定年と考えれば、俺のデス・ドライブの相棒として不足はない。「旅は道連れ世は情け」と言うし、ここは世の情けに甘え、道連れにさせてもらおうと思う。よろしくお願いシナシャス!

挨拶もそこそこに、まずは助手席に座らされる。

運転席に座った白髪教官は、パラパラと俺の書類をめくり、「ん゛、今日が初めてなのね」としゃがれ声で確認した。

「そうなんです……」

「はい。じゃあとりあえず、移動するから」

そういって教官が運転を始めると、車は、練習コースの外れにある、道路でもなんでもない空き地のようなスペースへ滑り込んでいった。

隔離。

これは隔離です!

さすが教習所は心得ておる。いくらなんでもパーフェクト初心者を教習者の群れのなかに放り込むようなマネはしなかった。当然と言えば当然だけど、これには本当にホッとした。

「じゃあ、とりあえず車を動かしてみようか。これが見本ね」

教官は素早く手元のチェンジレバーを動かすと、前進と後退をそれぞれ説明しながらやってみせた。

「はい、交代」

えっ。

まだ心の準備ができてない。できる予定もない。する気もない。可能なら永久に運転席に座らずに過ごしたい。庭から出た石油を売って、運転手を雇いたい。赤い絨毯をしいたリムジンでワインを飲み、チャンネーをはべらしたい。しかし現実には、俺は言われるがままに運転席へ移ることしかできなかった。心の準備が考慮される余地などカケラもなかった。

こうなったら仕方がない……。昨日のムービー垂れ流し模擬講習の内容をうっすらと思い出しながら、シートやミラーの位置を調整する。準備ができたら、同じくうろ覚えの手順でエンジン始動やハンドブレーキの解除を行ない、なんとか発車できる状態に。ああ……。超、走りたくない。怖い。

「ん゛ー、では、ゆっくりでいいので、前に行って」

かすれ気味の声に凄みがある。

うう……。

逆らえるはずもなく、それまでずっと踏み込んでいたブレーキから、そっと足を離す。オートマ車は、ブレーキから足を離すだけで動き始める。

スーッ……

うわっ……

動きやがった……! 鉄の塊、滑り出しやがった……!

破滅……! 破滅の序曲……!

続けて軽くアクセルを踏むと、車はブオンとうなりをあげて急加速した。体がうしろに引っ張られる。 ヒィーッ! 速い! 死ぬ! これ、死ぬやつだ!

「はい、止まって」

一刻も早く止まりたかったので、渡りに船とばかりにブレーキを踏む。

ガッコン。

完全な急ブレーキ。俺も教官も車体の揺れに合わせてガクンと揺れた。コントみたいだった。なにこれ……超難しいんだけど……。アクセルもブレーキも敏感すぎない? 体重計乗るときよりもそっと踏まないといけない。もうやだ……動かしたくない……。

「じゃあバックね」

かすれた声の指示が聞こえた。分かったよ……分かりました……。俺は死刑執行のボタンを押すくらいの覚悟でチェンジレバーを「R」まで動かし、再びブレーキからゆっくり足を離した。ピー、ピーというバックの警告音が、世界の終末までのカウントダウンに聞こえる。はあ……いっそ背後が崖で、このまま落ちたらいい。

「はい、止まって」

ガッコン。うう……。

「じゃあ、また前進」

ブロロ。

「止まって」

ガッコン。

「またバック」

ピー、ピー。

つまんねぇ……。超つまんねぇよ。穴を掘っては埋める拷問みてぇだよ。それでも今は、心を無にして作業を続けるほかはないのだけれど……。なんかシンジ君が「目標をセンターに入れてスイッチ……目標をセンターに入れてスイッチ……」って死んだ目で繰り返してたシーンとダブるわ……。

ようやく少し慣れて、「車って、操作した通りに動くんだな!」というバカ丸出しの事実確認をしていると、

「ん゛ー、じゃあ、コースに出ようか」

と、教官が滅茶苦茶なことを言い出した。コースに出る? 俺が? なんで? まだハンドルとか切ったりしてない。切る塩梅とか分からない。こんな人間がいきなりカーブに挑んだら、いきなりスピンして横転して爆発しないとも限らない。無理無理……絶対無理……。

「とりあえず見本見せるから、交代ね」

「はい……」

交代したあとの車は、それはもう滑らかに動いた。これまで車が滑らかに動くことになんの疑問も持っていなかったけど、「このあと自分が同じように運転するんだ」と思いながら乗っていると、もう不思議。魔法のように感じる。だって鉄の塊なのにめっちゃ速んだよ!? ハンドル回す手さばきも呪文詠唱の身振りみたいだし……。面妖な……。タヌキに化かされているのでは……? そういえば教官のオッサン、タヌキみたいだし……。

運転方法やコースについてちょいちょい説明を受けつつ、ぐるっと2周ほどしてから、ついに死刑宣告が下った。交代。運転手、交代であります! ここからは、この急ブレーキの魔術師である俺が運転して、コースを回らなければいけないらしい。ウソだろ……。ウソだと言って……!

「ん゛……!」

教授は前を指さした。

え……? 何……? 「ん゛……!」って何?

俺が困惑していると、白髪教官はもう一度、チョイチョイと前方を指さした。

まさか、「発車しろ」って意味……?

急に省電力モードに入ったのか、白髪教官は唸り声と身振りだけで指示をようになった。もはや問答無用……。俺は昨日の模擬教習で習ったことを思い出しながら、ウィンカーで発車信号を出し、コースへと車を滑り込ませた。

ブロロ……

スーッ……

やだ……うそ……アタシ、走ってる……!? ほかの教習車に混ざって、ちゃんと走れてる……!?

教官が走っていたルートをなぞって、直進していく。次は右折だ。感動もそこそこに、カーブに備えてスピードを落とす。

さあ、カーブ。おそるおそるとハンドルを切ると、車は確かに方向転換を始めた。

しかし……

わっかんねえ!

どんくらいハンドルを回せばどんくらい回るのか、ぜんっぜん分かんねえ!

「ん゛~~!」

教官が、もはやノイズに近いかすれ声を喉から発しながら、手をクルクルと右に回す。どうやら、もっとハンドルを右に切れとのご指示のようだった。

クルクル……。

大丈夫なんだろうか……。と考える間もなくカーブは終わり、あわててハンドルを元に戻す。急ハンドルもいいところだ。

「ん゛ん゛……」

教官は腕を組んでため息みたいなノイズを出した。喋れよ……!

「前途多難だな……」みたいなニュアンスなのだろうか。真意はまったく伝わってこないが、少なくとも好感触でないことだけは確信できた。

その後、まれに「もっと早く切って」、「右に寄りすぎ」といった理解可能な言語も登場したものの、基本的には唸り声と身振りだけでの教習スタイルをキープ。直進してるだけでも不満げに唸っていたので、もしかしたらオッサンではなくただの機嫌の悪い犬だった可能性もある。

とにかく、唸り声に従って延々とコースを走り続けた。ハンドルを動かさなければできるはずの直進すら満足に出来ず蛇行気味になり、カーブでは魔球レベルの軌道を描く。みんな信じられないかもしれないけど、実際の車の運転、マリオカートと全然違う。あの天下の任天堂が作った名作ゲームとかけ離れてる。トヨタとかホンダとか、何やってんだよ! マリオカートを全然再現できてない! 小ジャンプしたあとドリフトしてミニターボがかかったりとか全然ない! マジでしょうもねぇわこの乗り物は!

一応、「今のはうまく曲がれたかな?」という感触があったことも数回ある。そのときは、オッサンの唸り声も「うん゛……」と若干満足げに聞こえた。もちろん本音は分からないし、「満足げ」というのも俺の主観でしかないわけだけど、こういうときは前向きに捉えたい。あと、俺と同じくらい遅い車がつねに少し前を走っていたので、「前の車が遅いせいで速く進めねぇんだよ!」と自分に言い訳できたのも、気分的に助かった。

それにしても、まさかこんなに淡々と走らされるとは。

教習所といえば、教官がやたら口出ししてくるというイメージだったので、意外も意外。実は免許って、割と悠々自適に取れるもんなのかな? それとも、この教官が特殊? いや、前向きに考えるなら、俺が運転うますぎて文句を付けられなかった? 圧倒されてた? 「こいつ、車に愛されてやがるぜ」って思われた? 俺がハンドルを握ったとき、優しい光がハンドルからパァーって放たれて、あんなにピクリとも動かなかった伝説の教習車が、俺を主として認めた?

じゃあやっぱ俺、アレかな? 「首都高の颶風(ぐふう)」の異名を持つ駆闘士(ハシリヤ)になって、スピードと熱狂だけが支配する新世紀「疾風時代(ツァイテン・デア・シュトゥルム)」の立役者となったりすんのかな!? ウソからマコト、出てきちゃった? もしや? ワンチャンある……!? よ~し! 20世紀フォックスさん! 実写化のお話、お待ちしておりますぞ~!

2012年5月16日 

華麗なる爆走伝説、2日目。

今日は2コマ連続で技能教習がある。はっきり言って、ワクワクが止まらねぇ。オラ、闘いたくってしかたねぇ!

まあ昨日の手応え自体は完っ璧にゼロっていうか、自分の運転から一切の才気を感じなかったんだけど。でも、数千万ドルの芸術品とかだって、見ててもピンと来ないっしょ? 「落書きじゃん」くらいのこと思うわけじゃん。だから逆に言えば、一見するとダンゴムシが這いずるみたいなみっともねぇ運転でも、シューマッハとかが見たら「私こそがダンゴムシだった」って脱帽するかもしれないわけじゃん。だからこういうのって、自分の評価を盲信しちゃダメだと思うんだよね。

第一、昨日の白髪の教官、数回しか注意してこなかったからね。唸ってただけだから。たまに唸り声のテンション上下させてただけだから。俺がちょっとカーブとかヘタに曲がったとき、機嫌の悪い犬みたいな唸り声出してただけだから。ってことはもうパーフェクトってことじゃん。君らはアホだから、深読みして「その唸り声が注意でしょうが!」とかほざいてくるかもしれないけど、ありえないから。だって連中ね、生徒の問題点を指摘して、アドバイスすることでおマンマ食ってるのよ? そんな人たちがさ、アドバイス代わりに唸る? 滅茶苦茶でしょうが、そんなのは!

以上をもちまして、「岩ちゃんゎ自信持ってィィんだょ論」の証明とさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

では続きまして、今日の教習の感想です。

結論から申しまして……。

わたくし、岩倉……!

もう……!

車……!

運転したくないよ~~~~!!!

あ~~~~ん!!!

やだよ~~~~!!!!

もう心バッキバキだよ~~!!

リアルに泣いちゃいそうだったよ~~!!!

あのね。

ぼくの今日の1人目のせんせーがね。おねーさんだったのね。同い年ぐらいの。そのせんせーがね。もう……。あのね……。う……うわああああああああああ!!!

ジョジョジョジョジョー!

ズババババーッ!

……。

失敬……取り乱しました……。色々飛び散ったりもしました……。もう落ち着いたので大丈夫です。腰から下に関しては別として、あとはもう大丈夫れしゅ。

まあよ。なにしろ、とにかく厳しいのよその教官が! いや、厳しいっていうか、別に厳しいのはいいのよ! 厳しいのは構わんのよ! ただ、言い方がよ! 言い方がさ! 言い方のやつがよー! いいいいいかたがよおおおおおお!!! ごめん、全然落ち着けてねーわ!

まあ、最初は普通だったよ。「昨日初めて運転してみて、どうでしたかー?」とかいって。で、俺も「ハンドル操作が難しくて、腕が絡まっちゃいそうでしたね~ハハハ」とかいってね。まあいい感じで始まりましたわ。そんでブロロって運転して、最初のカーブ。あとから思えば、そこが地獄の一丁目だったね。

「カカトを軸にしてブレーキ操作してますけど、危ないんで、ちゃんと足を左右に動かしてブレーキ踏んでくださいね」

まあまあ、最初の注意だから、ハイって聞きますわ。で、そのまま直進。

「右に寄っちゃってますねー」

そっか。しまったなー。ライン修正しよう。で、またカーブで右折。

「左の方もちゃんと見ないと、ぶつかっちゃいますよー」

すんません。

「あとアゴが上がっちゃってるんで、姿勢が悪いです。ちゃんとアゴ引いて、正しい姿勢で」

いっけね。気を取り直して直進!

「どこ見てます?」

え?

「中央線見ちゃってますよね。越えちゃいけないって意識しすぎて。だから寄るんです。視野を広く」

な、なるほど……。

「はい、曲がり角は慎重に……あっちも見て! もっと左に寄ってください」

は、はあ……。

まだ半周もしてないのにこれ。

だんだん嫌な予感してきた?

でもね、序盤はこれでも穏やかなほうだったよ。注意自体はすっげー細かかったけど、声はまだ穏やかだった。それが……10分くらい過ぎた頃からかな? 空気がね。ヒヤリと。俺を注意するときの声がもう、凄い勢いで冷めていってる。知らぬ間にキンッキンに冷えてる。瞬間冷却。魚の鮮度を一切損なわないな! っていう。特許取れるくらいの冷却力。あのさ、怒り方のパターンでさ、「あたし別に怒ってないよ?」って態度だけど声は完全に半ギレ、ってやつ、伝わる?

もう心底どうでも良さそうに真顔で言うわけ。

「左、当たっちゃいますよぉー」

ポイントは「よぉー」のあたりの発音。ヒョットコみてーな口からの「よぉー」。なんの抑揚もない「よぉー」。全然乗り気じゃなかったデートで、すでに死ぬほど飽きてて、喫茶店でアイスコーヒーすすりながら生返事するときの「よぉー」。相手に毛先ほどの価値も認めてないと出せない「よぉー」。

いたたまれない。もう勘弁してよぉー!

しかし勘弁されるわけがないので、教習は続いた。1分に2回くらいのペースで注意される。さすがに俺も嫌気がさしてきた。

そんな時だよ。

「今、ちゃんと死角を意識しましたぁー?」

あ。

「右側見れてましたぁー?」

あ。

これ。

疑問系のやつ。

ムカつくやつ。

なんなんだよこの疑問系はよ……。もちろん答えは「いいえ」だよ! 意識できてませんでした、見れてませんでした! でもよ! 「できてなかったですね、気をつけてね」でいいだろうが!? なんでわざわざ白々しく疑問系にして、俺の口から「いいえ、できてませんでした」って言わせるわけ!? イジメ!? そこまで敗北感を与えたい!? 圧勝したい!? この女、絶対彼氏とかと喧嘩するときもこんなだわ。「私、約束破られるのが一番嫌いだって、言わなかったっけ?」とか。そういうキレかたしてくる女だわ! 想像するだにウッゼーわ! マジでなんなんだよその疑問系はよ! 誰が幸せになんだよ! ほんとこういう女っているよなー!!

俺の女性への偏見を深めたことも知らず、教官はズケズケと説教を続けた。

「全然、コース取りのイメージができてないんですよねー……。いいですか? 今からカーブを曲がりますよね? どの地点まで行きたいか、頭の中で考えて、車がどういうコースを描くのか、イメージしながら曲がるんです。次は曲がった先ですぐ右折したいから、あらかじめ右寄りの位置へ曲がるように……」

できるか!!

こいつ、俺が車乗るの2回目だって分かってんの? ようやくマリオを左右に動かせるくらいの人間にハンマーブロス攻略させようとしてんじゃねーぞ!! なんだよイメージってよ! そもそも、どんだけハンドルを回したらどんだけ曲がるかとかもよく分かってねーんだよ! そんな人間に車の行き先を想像しろとかふざけた要求かましてきてんじゃねーぞ!! 料理したことねーやつが味から醤油とか酒の分量を逆算できるわけねーんだよ! こちとらアクセルとブレーキとウィンカー、ハンドルだけでもう精一杯なんだよ! そんくらい配慮しろって要求はそんなに贅沢かね!?

「予習……してきましたぁ?」

カァーッ!!!

クワァーッ!!!

ウギギギー!!!

して……ませんッ!!

確かにしてない!!!

バレてもた!!!

そこはさ、申し訳なかったわ。正直ナメてたよ。予習、一切してなかったよ! でもさ、教習の最初の10分くらいって、説明タイムでしょ? お手本の走行しながらその日やることを教えてくれるもんでしょ? だったらさ、予習してなくてもある程度なんとかなるはずじゃん? 現に昨日はなんとかなった! いや、甘いのは認めるけどさ!

それなのにこのアマ、お手本のとき、ハンドルの切り方くらいしか言ってなかったからね! そりゃ俺は「手がからまりそう」って言ったけど、そんなのちょっとした冗談だろうが! もっと大切なことがあるなら、そっちもセットで説明しろや! いきなり俺に運転交代して、それまでひと言も言ってなかった注意事項を矢のように浴びせるとか卑怯すぎるでしょう!? そんなことしたら俺みたいな豆腐メンタルがどうなるか! もう心グシャグシャどころか、原子レベルまで分解されてんだよ!

などと! 内心ガンギレだった俺だったが!

「今のとこ、内輪差を考慮してましたぁ?」

「いや……してませんでした。すみません……」

現実の受け答えはこう。もうヘコヘコ。オジギ草ですわ。明らかにクソな教え方をされているとはいえ、最終的にはこのアマの言うとおりできるようにならなきゃいけないわけだから。長い目で見れば、一応はためになるアドバイスではあるから。

それにしてもビビるのは教官ごとの教え方の違いよ。個性豊かっていうにも限度があるでしょ。昨日の教官なんて唸りながら手先動かしてただけだよ。それで俺を操ってたんだから、合気道の達人みたいなもんよ。そんな謎のオッサンから、キーキーうるせえクソ女まで、幅広く取り揃えすぎでしょ。普通のやついねえのか、普通のやつ! っていうか俺が今、こんな目にあってるのって昨日の合気道のせいじゃねーの? なんで今日になっていきなり怒濤の駄目だし受けなきゃいけねーんだよ。昨日のオヤジが唸ってねーでまともに喋って注意してくれてたら、まだマシな運転できてたんじゃねーの? おい! 絶対そうだろ! 間違いない! 俺は悪くない!

ハッ!

この事実を伝えたら、クソアマも「あら、全然教わってなかったんですか? じゃあ出来なくても仕方ないですね」って同情してくれるかもしれない! 早速言ってみよう!

「いやーでも、色々言っていただけて、とてもためになります。昨日の教官さんは、黙ってて何も言ってくれなかったので……」

「そうですか」

「……」

「……」

響かねぇーーー!!!

とりつく島、ねぇーーー!!

一面見渡す限り、海!

だだっ広い海に一人っきり!

しかもこの女、俺が「色々言っていただけて、とてもためになります」って言ったあと、「アハハ」って、とてつもなく乾いた笑いをカマしてきたからね。ツンって指先で突いただけでズシャーッて崩れ落ちる、砂でできた「アハハ」。もうさ、俺は海にいるのにあっちは砂漠。距離がハンパじゃねーのよ。なんなら俺のこの「色々いっていただけて」っていうのも、皮肉だと思われた可能性あるからね。一応9割くらいは本心なのに。「あらあら、私が口うるさいって意味かしら?」って思われた可能性が極めて高いからね。マジやるせねーわ。

授業終了時間が来たので、駐車して、「ありがとうございました」と言ってコース入り口へ帰還。もうあと5分も待てば次の教習だ。気持ちを立て直す時間などカケラもない。もうやだ……。運転怖い……。また怒られる……。

恐怖に縮み上がりながら、次の時間は少しでも怒られないようにと、予習することにした。パラパラと教科書をめくり、次の授業の範囲を調べる。

……?

あれ……?

ちょっと待て……?

さっきのクソアマが言ってた、「曲がったあと左寄ったり右寄ったり」みたいなの……今日の範囲じゃなかったんだが……? かなり先の内容なんだが……? そして座学でも、まだそんなとこ習ってないんだが……?

もしかして俺は、まだ知らなくて当然の内容を知らなかっただけで、スーパーパワハラアタックを食らったのか……?

おい……!

マジで!!

マジだわ!!!

マジでマジなやつだわ!!!

ハァ~~~~! マジでマジな~~やつ~~~だわ~~~ ハァ~~チョイナ~チョイナ~! や~れドッコイショ~~ドッコイショ~~! いっぺ~~ん~~~マジで~~~死んど~~~けや~~~はぁヨイヨイ~~!! どっこいせ~のFuck You~~~!!

もう疲れたので次の教習については手短かに書くけど、浅黒くてワイルドな、「これぞ峠のドライバー!」って感じのオッサンが、永久に苦笑いしてた。俺のあらゆる操作に「かはは……」って感じでドライな苦笑いしてた。横から手がニュって伸びてきて、俺のハンドル操作を修正しまくってた。多分教習時間の3割くらいはハンドル握られてた。強引にコース修正されてた。「かはは……一点を見てるからそこに寄っちゃう」ってずっと注意されてた。まあ、1時間前の地獄に比べれば、随分と楽だったよ。心はすでに死んでたけどね。

で、授業が終わったあと、車から出たその浅黒い教官が、ほかの教官に話しかけてひと言。「ずっと喋ってたよ(苦笑)」だってよ! もうトドメ。フェイタルフィニッシュ。あのさ、そういうのさ、喫煙所とかでやってくんない!? 俺のできが悪くて喋り続けるハメになったのは申し訳ないけどさ! でも聞きたくねーわ! 生徒にも一応、心はあるねんで……? いや、もうないけど……。死んだけど……。

以上です……。

2012年5月17日 

違うのよ。聞いて。まず落ち着いて聞いて。

サボる気はね、なかった。

サボろうと思ってサボったわけじゃ、断じてない!

まあまあ、確かにね。授業には出てない。教習所の視点に立てば、サボる気があったかなかったかなんて、大した問題じゃないだろう。でもでも~! やっぱ違うんだって~! サボりじゃなくて、ただの遅刻なんだって~! それもたったの3分! 3分ぽっちの遅刻! 3分なんて宇宙規模のタイムスケールで考えたらさ、ないようなもんでしょ? 3分も0分も一緒でしょ? つまり遅刻なんてしてないってことでしょ? なのに教習所のバカ、1分でも遅れたらダメとか言ってるわけ。こまかっ! みみっちっ! 宇宙見習えよ! ケツの穴小さすぎるわ! What a small anus !!

いやでも正味の話、教習所の変わり身の早さにはクリビツですわ。普段の教室、めっちゃ開放的だったよ。ウェルカムオーラ凄かったよ。ドア、ガッバァー! って開いてたよ。それがよ、たった数分遅れただけで、ビッタァー! ですわ。もうさ、銀色の扉が、地獄と天国を隔てる門みたく超厳格に閉じられてるわけ。もちろん俺のいる廊下側が地獄よ。実際、超薄暗いの。教室の中から明かりは一応漏れてるんだけど、その覗き窓が、何しろ細くてよー! 顔をくっつけるくらい近づけないと、中の様子なんて分からない。恐るべき隔絶感。懲罰房かと思ったよ。もうそんなとこ、近寄れるわけないでしょ? だから素直に退散したってわけ。

と言うか、勘違いしないで欲しいんだけど、昨日のあのクソアマ・ウルトラ・パワハラ教習で絶望して休んだわけじゃ、断じてないから。まあ確かにそれまでの余裕は消えて、「俺、運転ナメてたわ……」って顔面蒼白にはなったけど、でもそれしきで休んだりしないよ。なんでって、あのクソアマ教官より姉貴の方が全然怖いからだよ。並の追い詰められ方じゃないんだよ、俺は。だから休む気はほんとになかった。家を出るとき、少なくとも7、8分は余裕を持って出た。

ただ、運がねー。運のやつが謀反を起こした。運のやつの妨害工作がヤバかった。まず、マンションのエレベーターに細工して「点検中」状態にしてきた。それを見てトホホって感じで歩いて降りて、駅に行ったら、今度は目の前で電車がGO。次の電車、急行。うちの駅、止まらない。呆然と待つしかない。で、ようやく来た各駅停車も、特急の追い越し待ちとかいうレアなアクションを繰り出して、途中で数分止まったりすんの。運、凄腕すぎるわ。恐るべきエージェントだわ。

まあそういうわけで、不運にも遅刻して、出席できませんでした、と。以上のような次第であります。せめてもの救いは、受けられなかったのが座学だったってことだね。座学は予約が必要ないから。同じ授業を時間割から見つけて、しれっと出席するだけでいい。だからまあ、傷は浅くて助かった。

でさ、困ったのがさ、いま遅刻のせいで1時間ヒマになったじゃん? 実はその次の時間は、もともとスケジュールが入ってないんだよね。つまりさ、都合2時間のヒマが登校して早々に発生しちゃったわけ。どうする? こんなとき、どうやって時間潰せばいい?

はい、ここで閃いた! この教習所、自習室があるんですよね。コンピューターを使って、模擬テストみたいなのを繰り返し受けられる。復習するのにうってつけの施設なのよ。日記では省略してたけど座学は地味にこなしてたんで、実はもう1段階の半分以上は受け終わってたんだよね。ってことは、ここらでいっちょ自習すると? 超効果的なんじゃない? 間違いないわ。どうせいずれ試験は受けるんだから、今のうちになれておこ! やっぱさー、できる男はこういうちょっとした時間を有効に活用できちゃうんだよね。クレバー過ぎる~!

でも! ちょっとおなかすいたから、その前に牛丼屋へ GO !!

EAT !!

はー食った食った。これで勉強にも身が入るってもの……

!!

え……?

あれ……?

ウソでしょ……?

目の前にあるこの建物……

ゲーセン……!?

ゲーセンなの……!?

いや、まさかね……。仮にゲーセンだとしても、入るわけないし。俺は勉強しなきゃいけないし。ただ、教習所の授業が終わったあとに来るとしたら? それはアリだよね? じゃあさ、今ちょっと時間があいてるなら、どういうゲームがあるかくらいは、チェックしておいても、いいんじゃないカナ!? そう、見るだけ見るだけ!

そうとなったら善は急げだ。ゲーセンらしき建築物に GO !!

WALK !!

LOOK !!

FIND !!

PLAY !!

ENJOY !!

ONE MORE !!

AND MORE !!

……時間消し飛んだーッ!!

GOOD BYE 1 hour !!

違うのよ! すべてはゲーセンにビートマニアが置いてあるのが悪い! 俺けっこうあのゲーム好きだから! どうしても数回はプレイしちゃうから! しかも俺以外にもう一人いたから待ち時間も発生しちゃって長引いちゃったから! これはもうしょうがない! 無罪!

それに落ち着いて良く考えて欲しい。車の免許を手に入れて、何をするかって言ったらドライブでしょ? で、ドライブのときって何が楽しみかっていったら、お気に入りの音楽をかけることだよね? 俺ってけっこうダンスミュージックが好きなんだけど、そういう系統の音楽を楽しむときに一番肝心なことって、なんだか知ってる?

ビートを感じることさ。

窓の外を流れる街路灯、そのオレンジの光が尾を引いて視界外へ消えゆくときのリズムと、車内に流れる曲のビート。そのユニゾン感を全身で味わうこと、それこそが、「走る」ってことなわけじゃん? じゃあビートマニアって、ドライブの最高の予習って言っていいよね。先見の明を持つ賢人だけが辿り着ける、予習の境地だよね。

とか言ってたら、危うく次の座学も遅刻しそうになった。マジ危なかった。さすがにゲーセン行ってて遅刻したってなると、ビーマニを俺と回してた人に「テメーが並ぶから遅れただろうが!」って殴りかからなきゃいけなくなるからね。命拾いしたなー、あの人。

で、そのあとは、クソ眠いなって思いながらおとなしく座学を受け続けて終了。1段階の座学で必要な10コマのうち、9コマをやっつけることに成功した。今日遅刻したせいでコンプを逃したけど、明日同じ授業があるんでね。フォローが効くんすわ。余裕。あー余裕! 運転さえなければ教習所余裕過ぎるわ! 運転さえなければなー! 運転という概念がこの世になければ!

余裕ついでにコンピュータールームへ特攻。ほぼ範囲を学び終えたってことで、1段階の模擬テストを受けてみる。まあ授業で分かんないところとかひとつもなかったし、チョロいっしょ! 全部マルバツ問題だから、サイコロで解いても5割取れるわけだし! しかも今日のこの日記とか、英語めちゃくちゃ出てきてるからね。書いてる人、確実に教養ありまくると思う。IQ 5兆くらいありそう。そんな人がマルバツやったら確実にヤバいよね。マジでパネェから完全に最強だし絶対イケると思う! ミラクル教養ビームで敵を粉砕だ! テストスタート! ポチポチポチ。完了。採点!!

50点中30点!

合格点は45点!

????

15点足りない? 50点のうちの15点も、足りない……? あれ? 余裕……? 余裕とは、一体……? ウゴゴ……。しかも正解したの、「車を運転するときは思いやりの精神が大事である」とか、そういう糞くだらない問題も含んでるからね。一体誰を試す問題なんだっていう。バツにするやつ何者なんだっていうやつ。そういうクソ簡単なのを省いて、正解率を見ていくと……? 俺とサイコロ、どちらが優秀なのか……? 怖いので考えないようにする! 寝て起きたら運転という概念がこの世からなくなってますように。

2012年5月18日 

今日も実車の技能教習がある。2時間連続で。

はっきり言って、超やだ。

完全にトラウマになってる。全ては、もちろんあのパワハラ行き遅れ女のせいに他ならない。「行き遅れ」は俺の偏見だけど、まあそうに決まってるし、万が一間違ってたとしても謝罪や訂正をするつもりは一切ない。それくらい俺の憎しみは深い。一生許さんぞ! そのまま助手席で威張り散らしながら更年期を迎えるがいい!

ここまでドロドロの怨念をこじらせているなら、「しばらく通うのをやめる」という処方もありそうなものだが、不幸なことに俺には時間がない。姉貴という時限爆弾を抱えている以上、教習で受けたトラウマは教習で晴らしていく意外にないのだ。なんでもいいから自分を盛り上げて、無理矢理通い続けるしかない。行け、俺……! 殻を、ぶち破れ……! 皆殺しだ……!

臨戦態勢でガチガチになっている俺を迎えた最初の教官は、ジャン・レノと勉三さんを足して2で割り、やる気を引いたような、気だるげな中年だった。

大丈夫か……?

ほのかな不安が胸を横切るものの、ここまで来たら腹をくくるしかない。今日は前回の反省を活かして、予習もしっかりやってきた。せめて教官にいい印象を与え、これからの教習所ドライブを少しでも居心地のいいものにしなくては……。

とりあえず、最初の慣らし運転で得意のヨレヨレ走行を披露。教官は一応、「ちょっとフラついてるねえ」などと指摘してくれている。好評価の気配はカケラもないものの、ボロクソにも言われない。これはやはり、出会い頭にカラカラの心を全力で振り絞って「よろしくお願いします!」と愛想を振りまいた効果が出ているのか!? 絶望的にヘタクソな営業スマイルでも、「テメー運転ヘタすぎんだよ!」とブン殴られる事態の回避に役立ったのか?

しかし真に重要なのは、スマイルではなかった。予習したとおりの手順で坂道での停車と発進をソツなくこなした俺に、教官は問いかけた。

「座学はもう大体終わってるのね。じゃあさ、あの標示、どういう意味だっけ?」

路上にペイントされた、逆三角形のマーク。あれは……昨日習ったやつだ。覚えている。覚えているぞ!

「えーと……“このさき優先道路”……?」

「そぉ! いやー、イイですねぇ~!!」

ジャン・勉三・レノのテンションが突如急上昇した。スケベオヤジが若い女の子の尻を見たときくらいの上昇度はあった。そこまで盛り上がること? 予習してくるやつ、そんなにレア?

「じゃあ、このまま直進しましょ!」

指示する声の張り具合が、明らかにそれまでと違っている。俺はといえば、相変わらずボーリングならガーター確定のムーブを見せているのだが、教官はイラつくことなくこんなアドバイスをくれた。

「交差点ではね、曲がりたいポイントとサイドミラーが重なったあたりからハンドルを切り始めると、ちょうどいいんだよね」

へえ。じゃあ、この辺から? クルクルクル……

え……!

なにこれ……!

超曲がりやすいんですけど……!

魔法……!?

あのー、これね。車を運転したことのない未開人どもには伝わらないかもしれないけど、カーブすんのって、超難しいからね! 考えること、鬼のようにあるから! 「どれくらいの速度まで落として」、「どの位置で曲がり始めて」、「どの程度ハンドルを切って」、「どれくらい曲がったら」、「どれくらいの早さでハンドルを戻すか」。たかがカーブでもこれだけ迷うポイントがあるわけ! もちろん慣れてる人とか勘のいい人は無意識にできるんだろうけどさ、何も知らない素人の場合、これ全部手探りだから! 数秒間でスムーズにこなすなんてね、インポッシボーなわけ。

だから、「サイドミラーが目的地に重なったとき」ってアドバイスは、めっちゃありがたいんだよね。考えることをひとつ減らしてもらえたわけだから。右折限定とはいえ。

あ、そうだ! 右折と左折って、マジで全然違うからね! そのへん、お前ら素人ども分かってる!? 免許持ってる人が読んだら「何を当たり前のことを!」って感じだろうけど、でも俺、ほんとびびったから。右折と左折の違いっぷり。右折はさ、カーブの外側回るから、距離が長いぶん、ゆるやかなわけ。あんまりハンドル切らなくていいい。だから一番最初の教習は、右折やるのよ。で、ある程度右折に慣れてきたら左折なんだけど、内側を回るから、右折より速く方向転換しないと、曲がりきれない。脱線しちゃう。つまりハンドルを切る量が、右折より断然多い! いそがし! こわっ! で、どんだけ切ればいいのか分からないから、ハンドル回しすぎちゃうわけ。そうすると、後輪がガコッて乗り上げる。そんなのね、超焦るわけ。自宅が傾いたのと同じくらい絶望的な気持ちになる。そんな顔面蒼白タイミングにね、あの糞メンス女が! 言葉のナイフで俺の心を……! アヒィーッ!

そんな地獄の教習に比べるとね、今日の勉・レノはほんと最高。まだアドバイス一個だけど最高。どこからハンドルを切ればいいか分かったから、ほぼハンドルを切る「量」にだけ集中して練習できるようになった。あのさ、マジ、こういう助言共有しといてよ! 教官の当たり外れヤバすぎでしょ! みんなレノみたいに具体的なコツ教えてくれや!

レノ株が爆上げしている中、車は再び坂道へ。別の教習車が坂道で止まっているので、俺はその下で一時停止した。

前の教習車はマニュアル車だ。俺の乗っているオートマ車とは色が違うのですぐ分かる。なんでも、クランク? とかいうやつを色々操作して? 細かくギアを操作しなきゃいけないらしくて? たいそう運転が難しい代物らしい。現に、目の前のマニュアル教習車は坂道の途中でガッコンガッコンとエンストをかましている。マニュアルだと、坂道ってそんなに大変なのか……。オートマはハンドブレーキを緩めながらアクセルを踏むだけなので、超簡単だった。

俺がマニュアル車の苦労に思いを馳せていると、勉・レノも前の教習車のガコガコっぷりに思うところがあったのか、呆れたようにつぶやいた。

「何を考えて、マニュアルなんて取るのかねぇ?」

えー!? 教習所の人がそんなこと言う!? 言っちゃっていいの!?

「“念のため”とか“もしかしたら”とか言ってマニュアル免許にするけどさ、その“もしも”ってどういう状況なのかね(笑)? 本当に乗る状況、来るのかな(笑)」

厳しい! テンション上がってるのかなんなのか知らないけど、完全に口が過ぎてる! このコメントがもし前のマニュアル車のスピーカーから流れたら、その生徒泣いちゃうよ! ただでさえエンストでテンパってるのに、そこへ来て「マニュアル取るやつはアホ」と言っているに等しいひと言! あんまりだ! いくら、マニュアル車なんて乗る機会ないうえに教習所の料金も拘束時間も増加する地獄車種だとはいえ、暴言が過ぎる! 確かに俺の周囲のマニュアル免許取得者も口を揃えて「オートマで十分」と言っていたが、にしても本音を言いすぎてる!

しかし俺はレノのご機嫌を損ねたくなかったので、

「ですよねぇ、いつ乗るんスかねぇ? 災害の時とかにマニュアル車を拝借したりとか……? ゲヘヘ……」

と前歯の出てる子分キャラを演じ続けた。すまん、マニュアル車の人……! 頑張ってくれ……。

俺の徹底したヘーコラが功を奏したのか、レノはその後も優しく指導してくれた(苦笑いは何度もされたが)。おかげでいくらかマシな運転ができるようになった、気がする。勘違いかもしれないが、でもこういうのって本当に自信が大切だと思うのでありがたい。最初からレノくらいの人に教えてもらえてたら、もうちょっと現状もマシだったのではないだろうか……。っていうかぶっちゃけ、ここまで散々持ち上げてきたのに申し訳ないけども、レノもそこまで高レベルな教官だとは思えない……。これがプロとして普通の姿でしょうよ……。

とにかく、次の時間も贅沢は言わないので、ちゃんと教えてくれる教官に当たりたい。こればっかりは、指名制度を利用しない限りは運だ。指名すべき教官が分からない以上、運命の女神に祈り続けるほか方策はない。

次の時間、女神が俺に遣わしたのは、後退した頭髪とニコニコ笑顔がチャーミングな、優しそうなおじいちゃんだった。例えるなら、女神の泉に舛添要一を落として、「俺が落としたのはそっちの、理屈界の戦国大名です!」と正直に言ったときにご褒美でもらえる、憑き物が落ちたほうの舛添要一。そんなセイント要一が、この時間の担当教官だった。

はっきり言って第一印象から「当たりだ!」という実感があった。「どうも! 今日はね、よろしくお願いします」と、めっちゃ笑顔で、これまでのどの教官よりも礼儀正しく挨拶してくれる。間違いなく最年長なのに、一番腰が低い。最高だよ……。まだ何も教わってないけど、最高! ザ・ベスト!

教え方も印象の通りとても丁寧で、失敗しても「ハッハッハ!」と爽快に笑い飛ばしてくれる。教えてもらったのは後退、いわゆる「バック」で、正直言ってマジで難しかったけど、セイントさんが「そうそう!」、「あらら~(笑)」と明るく教えてくれるのでへこたれずにできた。ここを例のクソに教わってたら再起不能になってた気がするわ。もう「アマ」すら省いていくからね。「クソ」で通じさせていくからね。

ただ、このセイントさん、ちょっとセイントすぎるところはあった。授業の後半は「S字」と「クランク」っていう、細い道をゆっくり抜ける練習だったんだけどさ。

その細い道から抜けて広い道に戻るとき、俺、反対車線に出ちゃったんだよね。

本来道路の左側に出るべきところで、右側。

正面から、車来る。

命に関わる凡ミス。

教官からワンパン食らっても、文句は言えない。

なのにセイントがどう反応したかっていうと……

爆笑。

「ウワッハッハッハ!」

え!?

「反対車線に出ちゃったねぇ~!」

えー!?

「こりゃ~困った(笑)」

一本取られたみたいな感じで言ってる!

いくらなんでも呑気すぎるだろ!

俺が慌てて左側に車を移動させても、まだ笑ってる。スゲェ……。天使みたいな人だ……。もしかしたらこの人、車にすごい詳しい赤ちゃんなのかも……。死とかよく分かってないのかも……。

まあでも基本的には優しくて超いい人だったので、ずっとセイントさんに教えてもらいたくはある。ただ、どこかで甘えすぎて、結果として自分のためにならないのでは? と感じる部分もある。悩ましいところだ。少し考えてみたんだけど、とりあえず、教習に新鮮味を持たせ続ける意味でも、教官の指名はしないでいくことにしたい。幸い、ちゃんとした教官がいることは今日判明したわけだし。まだトラウマがぬぐい切れてない部分はあるにせよ、希望の光は見えてきた。

というわけで、珍しくポジティブな感じで、続く!

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書いてる人 : 岩倉
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