マァム

2003年04月27日

振り返ってみると先週は当然のようなツラをして大学の1限をサボりまくった。5日のうち3日はサボった。しかも残りの2日もものの見事に遅刻したし授業寝まくった。よしよし、来てる来てる。流れ来てる。留年への雄大な流れが、ナイルの如くな。どうしよう。まだ大学が始まってから2週間しか経ってないのに。それなのに、アタイ、こんなに胸が苦しい。これって、もしかして…。

もしかしても糞も、胸をこれほどまでに痛く締め付けるこの感情は、紛れもなく、死に至る病であるところの絶望。俺がこの小さな小さな心に植え込み育んできた、余りにもひ弱でか弱い元気、やる気、本気、根気、勇気、これら5つの木(教育の基本)は、マツクイムシに食い荒らされる松の如く、見るも無惨に朽ち果てたのだ。後に残ったのは荒涼たる焼け野原、進めど進めどガイガーカウンターは常に MAX の値を示し、放射能の影響で巨大化した昆虫が我が物顔で闊歩する地獄絵図。あ、ちょうちょさんだ! おっきいなあ! あれれ、僕の頭にちょうちょさんがとまったぞ!? んもう、重いったら、ちょうちょさん(笑)。グサッ。ギャーッ! 長細いつるのような口が、僕の脳天を貫いた。ぢゅるぢゅる。吸われる脳味噌、遠のく意識、飛び立つちょうちょさん。かくして僕の一生は幕を閉じた。その後、僕の体からは冬虫夏草がニョキニョキと生える事になるのだが、それはまた、別の話。っていうかもう駄目だ。俺はもうダブる。この糞みてえな大学での在学期間に、更に1年上乗せする羽目になる。既に中学や高校で過ごした時間よりも長いこと大学にいるってぇのに、もうこれ以上は死んでもご免だ。ご免だが、しかし、口でどうこう言ってどうにかなる問題でもない。日記にこんな事を書いたところで、現実は何も変わりはしない。そうさ、いつだって、本当に大切な事は言葉なんかじゃ解決しやしないんだ。この両手は何のためにある。何かを動かすためだろう。だから今こそ両手を使え、俺の未来を動かすために。などと格好いいけど良く意味が分からない事を言ったって、単位は貰えない。単位が欲しい。

しかしこの2週間、そう、たったの2週間で俺の心はボロボロだ。俺の心の風見鶏はポジティブな方角を示していたはずだったが、いつの間にかネガティブな方角を示すようになり、そして今日、ついにポッキリと折れてしまった。風見鶏、死す。やる気の風、吹かず。だって、これから先、夏休みまで少なくとも3ヶ月はこのような生活を続けねばならないのだとしたら、3ヶ月=約14週間=2週間×7、つまり今の7倍は心が折れる事になってしまう。俺の心が今の7倍折れるというのは、森繁久彌があと7倍年を取るというのとほとんど似たようなものであって、要するに死亡確定。ポックリだ。いやポックリどころじゃない、多分「ポッ」の辺りで既に死んでいる。「クリ」まで言わせる間も与えず、とんでもない速さで魂が抜けていくのだ。だからこれ以上、大学に通う事はできない。リスザルのようにか弱い俺は、大学死してしまう。

つまり、大学を諦めれば絶望的留年が待ち構えているから大学をサボるわけにもいかないが、大学を諦めずに頑張れば魂が抜けて死亡、という、ザ・袋小路。もうどうする事も出来ない。手の施しようがない。それじゃあ自分は一体何をすべきかと言えば、そう、インターネット。インターネットはいい。何しろ現実を忘れられる。いや実際には忘れられないけど何となく忘れたような気分になれる。だからとてもいい。いくら考えてもどうにもならない事など忘れて、今宵はインターネットに酔いしれようではないか。ダイブ・トゥー・ワイアード。ここでは、いつもと違った自分に逢えるの…。

だけれど、どうしてか、サイトに何事か文章を書こうとすると、どうしても大学の事が真っ先に浮かんできてしまう。それまで忘れていたはずのものが急激に浮上してきてしまう。忘れたいのに、そして忘れたつもりだったのに、大学の姿が脳裏に浮かんでは、消え…。これって、やっぱり、アタイが実は心の奥深くでは大学の事を想ってるから、なのかな…。ドキドキ…。なんだか胸がちくちくするよ…。これって、もしかして…(2段落目に戻る)。

上のループを100回くらい繰り返す。これを留年スパイラルと呼ぶ。テストに出るよ。(岩倉ゴミ麿 著、「留年するための100の方法 〜単位はどこに消えた〜」 第二章「自分の家と人の家は臭いが違うけどなんでかな」より抜粋)

Posted by iwakura at 23:58