ディスコミュニケーション

2005年01月09日

真心のこもった新年の挨拶をしたら「久々の更新が手抜き過ぎる!」というお叱りのメールを何通か頂いたので俺は悲しい。お前達は、俺たちがインターネットを通じて一体何をしているのかを、微塵も理解していない。いいか、コミュニケーションだ。俺たちはコミュニケーションをしている。メールやメッセンジャーでの交流は勿論のこと、WEB サイトを見る・見られるという一方的な関係性もまた一種のコミュニケーションなのだ。そしてコミュニケーションにおいて最も大切なものと言えば何か? そう、挨拶だ。挨拶なくして円滑なコミュニケーションなど望むべくもない。

俺は幼稚園に入りたての頃、何故だか知らないが挨拶をするのがいやでいやでしょうがなくて、教室に入っていく時に「おはようございます!」と挨拶をしなければいけない決まりなのを全く守れず、入り口で挨拶したくなさの余り号泣し、激怒した母親に「じゃあお前は幼稚園に行く資格はない!」と家に連れ戻され、結局幼稚園の愉快な仲間達と全く交流が取れずに一日が終わったという悲しい経験をしたことがある。今思えば、俺の性格の歪みのベースはあの頃に出来上がったような気がする。母親の処置は幼稚園児に対して厳しすぎる。あんまりだ。まあそれはいい。とにかく、この例からも分かるように、たった一つの挨拶をし損なったせいで、人生はいともたやすく狂い、ねじ曲がるのだ。

その恐ろしさも知らずに「挨拶だけで終わるとは何事か」といった態度を取れるお前達のその平和ボケぶりにはいい加減うんざりだ。数万年に及ぶ人類の歴史において、何人の人間が、挨拶を十分にできなかっただけで殺されたことだろう? 正直何人くらいか全く分からないが、多分ゼロということはあるまい。けっこうたくさん殺されたはず。権力者の気まぐれで唖然とするほどあっけなく一生を終えたはず。焼けた鉄柱に縛り付けられたりしたはず。お前はそんな風に死にたいか? 俺はいやだ。だから俺は新年の挨拶をぬかりなく書いたのだ! トイレのドアを開けたら中に人がいた時も、「すいません」の一言も言えずに、「ウアアッ」と野生動物の低い断末魔のような声をあげて慌ててドアを締める俺ですら、新年の挨拶くらいは欠かしてはいけないと思って、「あけましておめでとう」と書いたのだ! その挨拶に対して手抜き呼ばわりとは、一体全体どういうことなのか? お前らには人としての温もりがないのか? 何が気に食わないんだ? 「あけましておめでとう」だけではなく、何か適当に話をくっつけてオモシロオカシクすれば良かったのか? 俺はそんな、年明け早々の校長の長話みたいなことはしたくない。言いたいことがあったらシンプルにそれだけ伝えればいいじゃないか! 毎回糞みたいに長い上に中身が信じられないくらい薄い文章を書いている俺が言っても説得力がないかもしれないが、しかし間違ったことは言っていないはずだ! だから俺は正月の更新について何も後悔はしていない。決して、「サイトを真っ白のままにするわけにはいかないから取り敢えず適当に挨拶でも書いておこう」みたいな気持ちで文章を書いたわけでもない。変な勘ぐりはやめてほしい。

では、最後に、距離の壁を越えて俺と一対一のココロのコミュニケーションをしているお前らに、この曲の歌詞を贈る。今の日本のミュージックシーンにおいてイマドキのワカモノたちを熱狂させてやまないキング・オブ・ロック・グループ“GLAY”の最新大ヒットシングル “GLOBAL COMMUNICATION”!

ONE LOVE COMMUNICATION
MISEDUCATION
強気なファイティングポーズで
ONE LOVE COMMUNICATION
MISEDUCATION
GROWING UP GROWING UP
僕は止まらない

北を南を ONE LOVE で繋げたら…


意味が分からない。

Posted by iwakura at 02:57