世界平和

2004年03月29日

「ドクデスで体力低下→友人宅で雑魚寝→風邪」という、半ば美しさすら感じてしまうほどの自然な流れによってここ数日間は絶不調。特に鼻づまりがひどくて実に鬱陶しい。頭がぼーっとしてろくにものを考えられないので、ネットの合間に、鼻の奥に詰まったゲル状の鼻水をズズーッて吸って洗面所にペッ! と吐いたりして時間を潰していたのだけれど、その行動がトリガーとなり、深層心理の奥底に葬られていた、心底どうでもいい記憶が蘇ってきたので驚いた。

一体どんな思い出かというと、あれはそう、俺が小学3年生くらいの頃の話だ。自転車に乗って友達の家に遊びに行く道すがら、かなりワルそうな見た目をした中学生二人組が前の方から歩いてきて、「うわあ、こわいなあ。かつあげされるかも…」などとびくびくしていたら、すれ違いざま、片方の中学生から、思いっきりツバをぶっかけられたのだった、それも顔面に! ブペッ! ベチャッ! えーっ!? なんで? 俺なんか悪いことした? 戸惑いながらも恐怖に怯えて自転車を加速させる俺を尻目に中学生は大爆笑。しかし当時の俺は悔しさなど微塵も感じることはなく、むしろ「ツバ程度でよかった…」などとほっとしながらペダルをこぎまくるという負け犬思考。そして友達の家で泣きながら顔を洗い、友達のお母さんに「大変だったわねぇ」とどうでもよさそうに慰められたところでこの思い出は幕を閉じるわけだが、つまりあの時吐きかけられた唾というのは、実は粘り気からいって鼻水だったのではないか? というのが、14年ほど年を重ねた末に俺が導き出した結論なのだ。なのだって言われても困るよね。ごめんね。

それにしても当時の俺ときたら情けなくて、下手をしたら爆笑する中学生達に愛想笑いの一つでも振りまいていたかも知れないくらいのヘタレ。顔を洗ってからその話を友達にしたらなんだか自分が可哀想になってきちゃって泣いたりしちゃうしね。どんなザコなんだよって話だよ。クリボー以下。…でもよく考えたら、今の俺もヤクザに同じような事をされたら卑屈な笑みを浮かべて逃げ去るのが関の山なんじゃないかという気がしてきた。いや確実にする。「へへ…すんません…」とかいってヘコヘコしながら小走りで立ち去る。そんで「待てやコラ!」なんて言われたらね、もう、古い漫画みたいに、下半身が台風のような渦巻き状になるくらいのダッシュで逃げるよ。結局、今も昔も見事なまでに腰抜け。もうちょっと何とかならないものか。

とは言っても、現実問題として俺は弱い。小学生の俺には中学生に勝つだけの力がなく、今の俺にはヤクザに勝つだけの力が、それはもう圧倒的にない。正直雲泥の差。今からどういう鍛練を積んでも勝てる気がしない、というか、まあ、鍛錬する気がそもそも毛ほどもないんだけども、それじゃあ一体どうやったら、日常生活で圧倒的強者にツバを吐きかけられた際に泣き寝入りせずに済むというのだろう。

というわけで考えてみたのだけれど、やっぱりキーワードは「ゴキブリ」だと思う。いや「やっぱり」なんて単語で取り繕ったところで滅茶苦茶感は全くぬぐい切れてないわけだけど、俺なりにちゃんとした理屈があるので是非とも聞いて欲しい!

まず、思考のスタート地点として「力で勝とうと思うな」というのがあって、これは俺に強くなろうという気が全くないというのもさることながら、結局の所暴力ではその場限りの平穏しか得られないというのが大きい。何故なら暴力は憎悪を生み、憎悪は新たなる暴力を生むからである。結局の所、最後に残るのは悲しみだけなのだから…………。また、例えば俺が強大な力を得て、悪漢をギタギタにのしたとして、目の前で「許してくれ」と失禁しながら命乞いをする相手を見下したとすると、自然な流れとして、俺は「これでは俺はあいつらと同類ではないか…?」などと己の内面に限りない不安を抱き、次第に町中の人たちからも疎んじられるようになり、最終的には発狂、無差別な殺戮を繰り返すが、「もうこんな恐ろしいことはやめて!」と止めに入った愛する人、その美しくもはかない涙のきらめきを目にして正気に戻る。だがその直後、自らの右手が愛しい人の左胸を貫いていることに気付き、「あ…いつもの目に…戻った…ね…」という言葉を最後に物言わぬ人形と化してしまった最愛の人を抱きながら、血の涙を流しつつ咆吼してしまうことにもなりかねないわけで、やはり過剰な力は禁物なのだ。例えが長すぎたことに関しては反省しているので許して欲しい。

では、暴力以外のどのような手段で、襲いかかる悪漢を退治すればいいのか? 北風と太陽に習い、ぽかぽかと人の心を暖かくしてしまうほどの、とびきりの笑顔で敵に接し、平和的解決を試みるか? 殴りかかられたた瞬間、それまで俺だと思われていた人物が、服を着せられた丸太に早変わりし、敵の背後でパンツ一丁になった本物の俺が「フフフ…忍法、変わり身の術!」とつぶやき鮮やかに決めるか? 想定している状況が「怖い人から唾を吐きかけられた時」とは全く違うものになっている事にたった今気付いたが、気にせずに進めていきたい。とりあえず上に挙げた二つの手法は大ボツである。ボツもボツ。ボツもいいとこ。笑顔なんてきもいだけだし、忍術なんて出来たら苦労しねーだろこのスッタコが! まあ忍術に関しては、「相手をびびらせる」という事を目的としている点では評価出来る。そう、結局今は相手が怖くてびびってるからどうしようもないわけで、それなら逆に相手を腰抜け状態にしてやればいいわけだ。それではそれに一番効果的な手法とは何か? 人は暴力以外の何に、最も恐怖を覚えるのか?

それは「理解不可能な何か」である! 例えば幽霊! 死んだ人が呪ってきたり写真に写ったり家を徘徊したりする! 理解不能! 怖い! また、例えば宇宙人! 宇宙からやってきた謎の生命体が謎の円盤に乗って牛から血を抜いたり人の頭に何か埋め込んだりしてくる! 理解不能! 怖い! そして、例えば、そう…ゴキブリ!! 

ゴキブリは全く理解出来ない! 突如現れたかと思ったら壁に張り付いたまま動かない、かと思ったら10センチくらいだけ異常に素早く移動する! 何を考えているのか全く分からない! そして腹部のあのグロさ! どうして、よりによってあのような形状に落ち着いてしまったのか、宇宙意志の悪意を感じすらするおぞましい造形! ああーっ! その他ゴキブリのキモさ、理解不能ぶりについては銀閣寺昆虫についての文章が明るいし俺も全面同意なので是非参考にして頂きたいわけだが、なんにせよゴキブリの常識からの逸脱ぶりには凄まじいものがある。これを利用しない手はない! つまり、常に数匹のゴキブリを携帯し、有事の際には咄嗟にそれを投げ付けて相手をひるませたり、あるいは2メートル程度のゴキブリの着ぐるみを用意し、万が一の際にはそれを着込んで相手をひるませたりすれば良いわけだ。さすがのコワモテもゴキブリは恐ろしかろう。2メートルレベルのゴキブリが腹部を丸見せにしながら直立歩行で迫ってきたらしょんべんちびるだろう。そうなれば敵は戦意喪失、見事、争いの種は芽吹かずに済むわけである。相手をびびらせつつ平和的に解決。これほど素晴らしい手段が他にあろうか。

しかしこれにも問題点がある。我々凡人には理解しがたいことだが、世の中にはゴキブリを怖がらない人というのが確実に存在しているのだ。正気を疑いたくなるがどうやら正気らしいのだから信じられない。俺の友人にも一人、そういうゴキブリ平気野郎がいるのだけれど、以前雀荘で、その男を含む数名とポンとかチーとか言いながら時間をどぶに捨てていたところ、ゴキブリ様が「オイッス!」とばかりに登場し、俺などは真っ先に「グオーッ」などと男らしい悲鳴をあげてしまったのだが、あろうことかその男は平然とゴキブリ様を踏みつぶし、それから店員に「ゴキブリ出ました」と事後報告するという離れ業をやってのけた。しかもその呼びかけに応えてのっそり出てきた雀荘の店長は、「うわーきみ、ゴキブリ踏み付けて殺したの? 勇気あるねー!」などと友人を賞賛しながら、自分は素手で死体をつまんで持って行くという、もう、全く、どうにもこうにも、何というか形容する言葉もなく絶句するのみだが、とにかくそういった超人がこの世に存在するわけだ。

結局の所ゴキブリも万能ではない。しかし暴力とて万能ではなく、当然、笑顔も忍術も然りであって、最善の一手というのはこの世に存在しないのかも知れない。様々な角度から眺めればどれもが最善たりえ、また、最悪たりえるわけである。多様な価値観によって構成される現代社会、杓子定規の物の見方ではなく、柔軟な思考によって、それぞれの利点・欠点を見極め、個性を活かす方向へ持って行くのが、これからのグローバルスタンダードと言えよう。ナンバーワンにならなくていい、もともと特別な…というかなんでこんな文章を書いてるのか全然わからなくなってきたのでおわり。おかしいな、こんな内容になるはずじゃなかったんだけどな…。

Posted by iwakura at 00:15